いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

それは故意の末に【SLEEP NO MORE観劇感想-ネタバレ無】

 

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「是非観てほしいオフ・ブロードウェイがある」

 

そんな言葉とともに名前の挙がった作品が【SLEEP NO MORE】でした。

mckittrickhotel.com

私はその作品の名前を、2018年6月ごろにニューヨークへ遊びに行った際、同じセール品を漁っていた同郷のニューヨーカーに教えてもらいました。

単純に私の「NY」「シアター」のイメージといえば、

・キンキーブーツ

・アラジン

・ライオンキング

・レント

・シカゴ

・ウィキッド

とか、まさしくブロードウェイで観るものばかりで、SLEEP NO MOREは「かなりの人気」と彼女が言う割にはガイドブックでも見かけた覚えがありませんでした。(後からガイドブック見直したら、小さく掲載されてたけど)

そしてまぁ、ブロードウェイで観る舞台(ミュージカル)といえば、座って観るやつをイメージするじゃないですか。

ところがですよ。

彼女の口から出てくる【SLEEP NO MORE】に関する情報といえば、

 

・劇場は古いビルを改装してて、まんま一棟を使ってる

・各個室がすごい凝った内装で、舞台セットみてるだけで素敵

・その中を役者が走り回る

・役者はバラバラに走り回っている

・その役者たちを観客も追いかける

・バラバラに走り回ってる役者が出会ったところで、
 ワンシーンの上演が始まる

・無声演劇なので英語話者でなくても安心

・とにかく走り回る

・階段を上がったり下がったりする

・めっちゃ走る

・同行者と一緒に最後まで回ろうなんて思うな

・がんばって走れ

 

というものでした。

なんかスケールがでかくてバグってるし、もはや怖いし意味がわからん……思いつつも、とりあえず興味を惹かれてチケットを入手。いよいよその日を迎えました。

 

向かうは、ミートパッキングエリアあたりの、いわゆるブロードウェイからはだいぶ離れた倉庫街。

割とうらぶれて見えるストリートに、突如としてSLEEP NO MOREを観る?参加?するために集まってきた人たちがタムロしているのは、まぁまぁ異様な光景でした。

そうして私も友人とその中に混じり、ホテルの受付のような場所で手荷物を身ぐるみ預けて(手荷物等、何かを持っていくことは禁止、危険なのですべて預けるようにとのアナウンスでした)、いざ入場。

 

そこからはなんかもう、凄くて。

 

まず通されたのが、薄暗く退廃的な雰囲気ただよう小さなショーバーのような部屋。

そこでは生演奏生歌のジャズ?R&B?が流れており、バーカウンターではお酒も飲めます。そして恐らく役者さんだろうスタッフ?支配人?っぽい人が話しかけてきたり。要は、待合のような場所なんですが、既に舞台のプロローグの様相。

そこで上演時間まで待ち、受付で渡されたトランプの絵柄ごとのグループに分かれて順番に会場へ入っていきます。

幸いにも私は友人と同じグループだったので、一緒にいざ劇場へ。

 

イメージとしては、ディズニーシーのタワー・オブ・テラーみたいに、まずは10人ぐらいでエレベーターに乗って、一人のスタッフ(役者)が上演内容の諸注意などを、舞台上の演者さながらにアナウンスします。

そしてもう自分が何階に居るのかすら分からん状態でとあるフロアへ放り出され、唖然とする私の目の前を全力疾走していく男性。

 

「は???」

 

って声を上げずに心の中ではクソデカボイスで思いつつ、友人の手を鷲掴みにして走りましたね。

そりゃ走った。

今でもあの瞬発力はすごいなって思います。

 

だってめっちゃ疾走していくんですよ、多分役者なんですけど。

そして案の定、役者だったんですよ。

いや、待って、めっちゃはや……ってなりながら追いかけて(マジで追いかける)、辿り着いた広めの廊下で、ほんとに始まったわ、演劇。

 

迫真の演技を内装がめちゃくちゃ施された廊下で見せる役者二人。

それを円陣のように取り囲む我々。

 

な、なんだこれは……

 

ってなった。

ちなみに、無声演劇なので台詞は一つもないんですけど、コレの凄いところが、今何をやってるのかが120%理解できるんですよね。

そして観客と役者を分けるのは、受付で配られるペストマスクのような仮面。観客は仮面をつけており、役者は仮面なし。また、役者と同じく観客も声を出してはいけません。

 

そんな状態で、とりあえず息を整えながら()見守っていると、ワンシーンが終わったのか二人の役者は円陣を抜けてバラバラの方向へ。

 

えっいやまって、バラバラって……?????

 

と、ここで試される、我々の脳力。

というのも、このSLEEP NO MOREはシェイクスピアの「マクベス」とヒッチコックの「レベッカ」を下敷きにしたオリジナル脚本だそうで。(wiki見た

ということはですよ。

 

初見はマクベスを追うのが定石。

 

キラの顔しながら、マクベスっぽいおじさんを追いかけました。

ただ、この人、途中で気づいたんですがマクベスじゃなかったです。でもその後、マクベスらしき人と合流したことにより、無事にマクベスを追いかけることができました。

そう、めちゃくちゃ追いかけます。

何しろ、定石というからには、初見は全員マクベス追いかけるんですよ。(当たり前

そしてこのマクベス、めっちゃ足速い!!!!!!

ちょ、おい、待てよって何回思ったか知れない。めちゃくちゃ早い。すごい速さで観客を振り切って走り出す。

こいつまじで見せる気あんのかな?ってキレかけたぐらい走ります。

しかも平坦ならいいんですけど、非常階段みたいな狭い階段を上に下に走るので、上位10名ぐらいに入っとかないと、マクベスを追う集団の中でマクベスの行き先を見失うんですよね。

しかもちょっとした施設ならまた探せると思うんですけど、構造がすごい迷路だし、狭いし、暗いし、とにかく広い!!!

終わってから答え合わせみたいに「何を見た」「どこへ行った」ってやったんですけど、マジで「そんな部屋見てない」「そんなシーンあったの????」っていうのが山程ありました。

 

ストーリー自体は1時間構成。

その間、あちこちで俳優たちがワンシーンを繰り広げて、一応時系列で進み、最終的に全員同じ大ホールに集まってくるという仕組み。

なので、最後は観客も俳優も一つのホールへ集合し、ラストシーンを観ることになります。そして、このラストシーンが終われば、また俳優たちはあちこちに散らばり、1から上演。これを3回繰り返すわけです。

 

なのにですよ。

なのに、全然知らないシーンとか、見てない部屋が山程あったり、知人は「墓場に10回ぐらい辿り着いた」って言うのに、私はその墓場すら見てないんですよね。

なにそれ、こわ。

 

そうやってぐるぐると俳優を追いかけてはワンシーンを見て、追いかけてはを繰り返し、終わってから万歩計を見たら、3時間で1万8千歩いってました。こっっっっっわ!!!

 

そうやって足で稼いだ観劇感想はというと、まぁ正直謎はたくさん残ったものの、「また観たい!!!」っていう感じでした。

無声演劇自体も初めて観たんですけど、俳優の言わんとする事、やろうとしていることがめちゃくちゃ理解できるのは快感でした。

また、ストーリーも謎めいていて、あの人がああなんじゃない? この人はあの人と関係が?とか推理しながら観るのも面白かったです。

中にはまったく意味の分からんシーンもあって、コミュニティーとか漁ったら面白そうだなぁって思いました。

 

これは面白いわー!

 

ニューヨークへ行ったらぜひまた観たいです。

そして終わってからはめちゃくちゃ寝るので、観るなら最終日とかがいいですね。(私はそうして飛行機でめっちゃ寝た)

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまでがSLEEP NO MOREの感想で、ここからはこの異色なシアターを観て思ったことについて。

 

SLEEP NO MOREの異色さって、それこそ挙げればキリがないと思います。ですが、まぁ主に特徴と言えるのはその演出手法というか、見せ方、または、観客との関わり方かなぁと思います。

 

このSLEEP NO MOREは、座って舞台を観るものではなく、前述のとおりに役者を追いかけて、その場その場で演じられるワンシーンをつなぎ合わせ、かつ、無声演劇なのでこちらがその役者の身体的に発される意図を汲み取るしかないんですよね。

追いかける人物の選び方によっては、相当、あいだの抜けまくった脚本にもなり得ます。

そして更に面白いのが、この作品を楽しむ人の中には、「部屋」を楽しむ人も居たりすること。

どういうことかというと、このSLEEP NO MOREの舞台になっている丸ごと一棟の建物には各階に無数の部屋が存在します。私が行っただけでも、執務室、広めの執務室、寝室、浴室、病院、ステージ?のようなところ、大ホール、廃墟、森、などなど。その他にも墓場や、意味不明な部屋があったりするそうです。その部屋それぞれがとても凝っていて、そこに仕掛けられた「脚本(ヒント、設定」を拾い上げていくそうなんですね。

これは所謂、多ステしてる人向けの楽しみ方かと思うんですが、それでも【シナリオを観客が拾い上げるしかない】というのは面白いなぁと思います。

 

極論、最後の大ホールで演じられるラストシーンしか観ない人もいるわけですよ。

 

そして、恐らくですがこのラストシーンしか観てない人と、初見でマクベスを追いかけまわった私と、多ステしてくまなく脚本を拾い上げている人とでは、見えてくるものは違うはずです。

 

そんなんあり?って思うわけです。

 

ただ、それで成り立っているからこそ、ロンドンからニューヨークへ、更にそこでも人気を博して繰り返し上演され続けているんですよね。

 

そして思うんですけど、このSLEEP NO MOREで作り手側が絶対に観せたい、外せないと思っているシーンって、極論、最初のこの世界の仕組み(待合とエレベーターの中で聞かされること)と、最後の大ホールでのラストシーンのみなのかなぁと。

それ以外のシーンももちろん観せたいはずですが(あたりまえ体操)、それらは完全に観客の思惑に委ねられているんですよね。

 

まるで未必の故意のような芸術だなぁと思いました。

 

ラストシーンへ至るまでの仕掛けは、作り手側が無数に散りばめていて、私たち観客側はその一つ一つを追いかけ、トリガーを引きながら衝撃的な大ホールでのラストシーンを目撃するわけです。

もしかすると、そのトリガーを引かずに別の「なにか」を追いかければ、そのラストを観ないで済むかも知れない。けれども、追いかけずにいられない、という、「もっと観たい」という欲望を上手く満たされた気がします。

または、知人はひねくれた人なので、「わざと」マクベスではない人を追いかけまわったそうです。そこにもまた「故意」があり、「このままでは違う話が展開するかも、それも致し方ない」という思惑の結果、まぁ私と同じラストを観るわけですが、そこへ至るまでの意志はどこまでも意図的なんですよね。

私たちは自分の手は一切くださず、ただ「選択する」という意思決定の果てに、あのラストを手に入れるわけです。

 

そこに至るまでの脚本も秀逸で、私は計3回、違う人を追いかけたんですが、どれも辻褄は合うんですよね……あーだから、そういうことになったのかぁ、という具合に。

 

 

と、ここまで考えてふと思ったんですが、私が通常観ている舞台も、実は同じだよなぁと思いました。

特に多ステしている時なんかは、最初は主要メンバーを軸にストーリーを観ているんですが、次には別の登場人物の思考を追体験したり、思惑を推し量ったりしながら、線や面で見ていたストーリーを多角的に楽しんだりします。

 

もちろん1度観ただけで理解できて、ストーリーを面白いと思える作品として完成されていることは、個人的に興行としてお金を取って提供される作品の大前提であるとは思うんですが、複数回観ることで「完成される」のではなく、「違う姿を現す」ような作品はもっと秀逸だなぁと思いました。

これだと誤解を招きそうなのでもう少し噛み砕くと、複数回入っての気付きは、あくまで私の場合で、その気付きを1回で得る人もいるでしょう。

要は、「其処に居る意味のあるキャラクター/舞台セット/仕掛け」が揃った作品を秀逸だなぁと思うわけです。すべてが「演出」なので、観客はいわゆる「目が足りない」という状況に陥り、最初はメインキャラクターを、次には別のキャラクターを、と追いかけることになるわけです。

つまり、すべてが意図的で、無駄の無い作品ってすげぇと思いました。

 

SLEEP NO MOREでいえば、「マクベス」を追いかけた時でもきちんとストーリーは理解でき、面白く感じ、2度目に別の人物を追いかけて更にその人物の意図を理解して面白く感じ、3度目も同じくラストまでを面白く駆け抜け、更に1度目よりも3度目には観た場面が増えて、ストーリーへの理解深度が増します。

また、このSLEEP NO MOREにも、いわゆる「アンサンブル」的な存在があって、その人達はラストシーンには登場しないのですが、そこにもきちんと意味があるんですよね。(出会えるかどうかはルート次第)

さらには、舞台セットにも仕掛け自体にも意味があって、ほんとスケールのデカさの割に抜けがなくて緻密さが凄い……。本当に無駄がない。

もはや狂気的な神経質さを感じるほどに、人造の芸術です。

とういか、普通にバラけて演技してるのに、どうやって役者らがあのだだっ広い空間で時間どおりに集合できるのか謎……それだけ緻密に計算され尽くしているんだろうなぁ、と思うと脱帽でした。

 

いやぁほんと凄いものを観た。

 

そしてSLEEP NO MOREほど、観客を信頼したシアターもないのでは、と思いました。

作り手と観客がこれ以上無いくらいに信頼しあった上に成り立つエンターテイメントです。

 

ロンドン、もしくはニューヨークへ行く予定の方は是非。間違いなくおすすめです。

(ちなみに全裸や血しぶきもあるのでレーティングあり)

私は人を殺したことがない。

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こんにちは。私です。

 

突然ですが私は人を殺したことがありません。

いきなりすぎて怖かったですか、すいません。

ただまぁそのおかげで、こうして自由気ままに時間の許す限り、自分のしたいことをしたいようにすることができます。

そして今の所、その「したいこと」の上位にランクインしているのが「観劇」です。

告知を見て、予定を合わせて、チケットを取って、時には遠征して、当日を迎えれば劇場へ赴き、数時間を演劇に向き合って過ごしています。

それはとても楽しい時間で、まさに至福のときです。

そのあとには、現場のオタクとあーだこーだと感想を言い合ったり、このブログを書いたり、まぁかなり「観劇」と「観劇に付随する行為」を楽しんでいる方だと思います。

 

さてこの「演劇」「舞台」というものをライフワークにしてから、たくさんの舞台を観ました。がっつりハマったのが去年の3月21日なのですが、それ以前と、それ以降の1年を比べてみると、以前には年に1〜2回だった舞台鑑賞が、以降の1年では何十倍にもなりました。DVDや配信も含めるともっとかなぁ。

とはいえ、未だに私は演劇素人でしかなく、いわゆる「演劇人」と言われる人たちが見るような目線で観劇するには至りません。

例えばお名前出して恐縮なんですが、ライターの横川さんのレポートとかを読むと「ははぁ〜」って唸ることがよくあります。舞台を観て、その時の感覚を言語化できるのはなんて素晴らしいんだっていつも思うんですが、「好きなキャラクターが光の中でブワッとなった」ぐらいにしか私には表現できなくて残念無念極まりないです。更に言えば、「あの演劇手法が」とか「あの役者は、この演出家とのやり取りを経てこういう味わいが出た」とか、そういう深いことは、とてもじゃないけどもっと言えそうに無いわけです。まぁ言えるようになるつもりもないんですけど。

それでも素人なりに舞台を楽しんで観ています。

いやほんと楽しくないとあんなに舞台観れないですしね。

そしてこれは、あくまで素人であると自覚している私が、決して思い上がりや奢りや天を衝くようなプライドによって言っているわけではないとご理解いただいた上での話なんですが。

 

「素人」イコール「馬鹿」ではないと思うんですよね。

 

これが今回の記事の本題です。

いやほんと、そう思うんですよね。素人なりに。

前述の通り、私の持ってる「演劇」に関しての知識って、一番それっぽいので「カミテ・シモテ」「マチネ・ソワレ」ぐらいです。やばいよね。

それについては、ほんとすいません。

それでもですよ。

少なくとも、私は友情がどういうものか知っていますし、家族というものも知っています。もっと言えば、恋も失恋も知っているし、上司と部下という関係性や、ほんのちょっとしたことで腹が立って仕方が無い日があることも、何をするのも嫌な日があることも、一方で、好きな人のほんの些細な一言で有頂天になって街中で歌いだしそうな心地になれることも知っています。

または、料理の仕方を知っています。勉強がめんどくさく感じることも、一方で問題が解けたときの楽しみも知っています。朝の爽快感も、または、もっと寝ていたい朝があることも。歩き方も走り方も、笑い方も泣き方も、怪我をすると痛いとか、そういうことも知ってるわけですよ。

極論、舞台を作る人が送る日常と同じものを、私も概ね送っているつもりなので、その人達が持っている一般教養や感覚は持ち合わせているつもりです。

 

もちろん、詳細を突き詰めるなら、人によって思い描くそれぞれのイメージや感覚は違うと思います。

例えば、私にとっての「朝」は11時ぐらいまでを指すんですが、それが9時ぐらいまでの人だっているでしょうし。それらが私個人の持つイメージや感覚であることは百も承知しています。

同様に、舞台に立つ人たちが思い描くそれらも、私の持つものとは多少なりと違うでしょう。

 

それでも、俳優たちが舞台の上に生み出すキャラクターたちの感情や意志は、とても生々しく、そしてきっと、彼らの意図したように受け取ることが出来るんですよね。

 

あ、いまこの人は悲しいんだな、とか。

わかる、嬉しいよね、とか。

うわ、めんどくさそう、とか。

だからそういう行動するのか、とか。

なるほど、あの言動はそのためか、とか。

 

そういういろんな事を、確かに受け取ることができます。

あちら側とこちら側の日常的な感覚の共有があって、さらに、各人が持つ感覚の誤差を修正しうるだけの説得力があって、「意図」や「仕掛け」に対する相互理解が生まれるんだろうなって思います。

あくまでフィクションなんですけどね。

それって本当すごいなって、いつも思っています。

だって、日常なわけがないんですよ。ホームビデオじゃないので。あくまでフィクションなのに、感覚が共有されて、没入していってしまう、あの感じ。

 

現実と非現実を混ぜ合わせた舞台だからこその醍醐味って、本当そういうところじゃないかなって思います。

共有している感覚や日常があって、そこに加わるフィクションが如何に現実味を伴って共有されるかっていう。

さらには、そこにストーリーやメッセージがあって、それを語るにしろ、潜ませるにしろ、いかに鮮明に観客の心にぶつけるかって、とてもじゃないけど同じ人間の思考とは思えないくらい脱帽しています。いつも。

ほんと、舞台って面白いんですよね。

面白いって思えるだけのものを、私は観劇するたびに共有させてもらってて、それはきっと、舞台を作っている人たちが懸命に育てて、意図して、伝えてくれたものなんですよね。

 

繰り返しになりますが、素人だって、馬鹿じゃないんですよ。

 

そういうものは、伝わります。

何より、舞台が好きだからこそ、こちらも懸命に意図を理解しようと努めます。

誰だったか忘れたんですけど、「趣味こそ本気でやらんと意味ないだろ」みたいなこと言った人がいませんでしたっけ。それほんとに思うんですよね。

趣味だからこそ、本気で取り組みたいんですよ。こちとらマジで。

だから、「この舞台は何を伝えようとしてるんだろう」って頭を働かせて、目端を聞かせて、グルグル考えるわけです。

だからほんと、これだけ言いたいんです。

 

素人だって馬鹿じゃないんだから、伝わらないのをこっちのせいにしないでほしい。

 

何とは言わないんですけど、ほんとに何も伝わらない舞台ってあるんだなって痛感しました。なーーんにもなかった。ただ頑張っている俳優を観ただけだった。子供の運動会じゃないんだから。まだそっちのが感動するわ。

素人だって馬鹿じゃない、伝えてくれたものはしっかり受け取ろうとしてるし、そうしてきた。そして、一方でさ。伝えようとするのはプロとして当たり前なのでは?とも思うんですよ。

相互理解なんですよ、相互理解。つまり、相互に作用して初めて舞台って完成するんですよ。

こっちは舞台を向いてんのに、そっちが明後日向いてたら相互理解なんか生まれるわけ無いじゃん。

何が言いたいの?

俳優の口と体を借りて、何を言わせたかったの?

本当に何も伝わらなかったし、察することができなかった。ただ、やりたいことは何となく分かるのがダサい。なんかこう、ここはカッコよく決めたかったんだな、とか。ちょっと小難しい感じにしたかったんだな、とか。やりたいことは分かるけど、できてないのでダサい。しかも、出来るはずの俳優揃えてるのがなおダサい。

他の舞台でその俳優が、そういう意図をもったシーンを完璧に演じてるの観たわ。

それもう観たんだわ。

 

頼むから、これ以上、素人を馬鹿にするみたいな作品は上演しないでほしい。

 

この土日で、ほんとそう思いました。

素人って、何度も言うけど、馬鹿じゃないんだよね。だから、そういう「うわぁ、バカにされてる」というのは分かるんだよね。

実際、馬鹿にしようとしてバカにしてるかは分からんけど、こっちがそう感じる時点で、伝え方が間違ったかも知れないと自問してほしいです。

 

ただ、勘違いしてほしくないんですが、私は心底から舞台を作り上げるって凄いことだと思っています。

 

だって、私は人を殺したことがない。

 

今こうして日常を過ごしている私には当たり前のことですが、実際に人を殺すなんて、したことがあるわけないんです。

けれども、そんな私でも舞台の上で「人を殺すことについて苦悩する」人に感情移入し、想いを寄せて、涙したことがあります。

それを演じた俳優だって、もちろん誰かを殺したわけじゃない。

それでも、その俳優が演じたシーンに作り手の意図があって、意味があって、相互理解と説得力があれば、私は何度だってその想いに寄り添って泣くでしょう。 

 

同じく、わたしには特殊能力もないし、スポーツも特にしないし、ミュージカル演りたいとも思わんし、刀も銃も使えません。

それでも、意図や意思や、メッセージを推し量って、受け取って、噛み砕いて共感することはできます。

 

舞台はそうやって、非日常を共感させるレベルにまで私たちを誘ってくれるんですよね。私たちが経験したことのある、それ以上のものを見せてくれて、それだけでなく共有させてくれる、そういう舞台がたっっくさんあります。

それって本当に凄いことだし、尊敬の念が尽きません。

まさにエンターテイメントという芸術だと思います。

 

私が観たいのはそういう舞台です。

ただ人を殺す、というのではなく。そのシーンに、そういう道筋が生まれるような、生み出された道筋に寄り添えるような、そういう舞台を私は観たいんです。

 

素人ながらも、しっかりと舞台を見据えるので。どうか、作り手の皆様にも観客の方を向いて欲しいと心から思いました。

 

 

 

4/17.追記:「私が観たあの舞台のこと…?」と全然違う舞台のことをご心配されてる方をお見かけして、申し訳なくなったのでもう明記しておきますが、桃源郷ラビリンスです。

拝啓 ワタシ様 【舞台にハマったオタクの一年分覚書】

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ほ~~~~ん

って感じです。

いやなんのこっちゃってかんじだと思うんですけど、自分で自分に「ほ~~~~ん」ってなりました、この1年。

今日という日に合わせて、なんかその気持ちをアウトプットしようかなって思った記事です。

タイトルどおり、なんかすっかり舞台ヲタクになった私から、非舞台ヲタだった私へ向けた活動報告みたいな感じです。マジで自分のなかにミリも無かった思考や嗜好や行動ばかりの1年だったので、すごい楽しくてあっという間で、あとビッグバンの連続でしたね…。

何しろそれ以前の自分に、欠片も舞台や若俳にハマる要素無かったので、なんかその謎を解明すべく、我々はジャングル奥地へと足を踏み入れた……みたいな内容です。ではどうぞ。

(観劇した舞台や、イベントの記録ではないです)

 

 

 

 

2018年3月21日

ピンと来る人は多分地球をまるくかいてた人だと思うんですけど、ヘタライ千秋楽です。たぶんそこが分岐点…。

かくいう私もヘタライ観に行ってまして、これでもかってぐらい、まるかいて、トークに腰いわしそうになりながら泣き腫らした顔面で帰宅した者です。

ただまぁ生粋の二次元ヲタクで、そりゃもうウン十年と二次元にて活動しておりまして、しかもどっちかといえば、いわゆる「2.5」には眉を顰めていた人でした。そんな中でのヘタリアの2.5化は、まぁ横目に眺めて、自分には関係ねーなって感じで斜に構えてたクチなんですけど、それでも一番好きな「フランス」と「スペイン」が一緒に舞台に立つらしいという情報に、GWから劇場へと赴くことに相成りました。

いやもうこれには、今となっては感謝しか無いんですけど、キャスト・スタッフ・演出脚本の皆様の手腕により、それはそれはすげぇもんがご用意されていて、メチャクチャに楽しませていただきまして、なんだったらすぐチケット増やしたんですよね…。

先入観ってこえ〜〜〜ってなったイチ場面でした。

ただ、それはあくまでも「自分の好きなキャラが動いてる~~~」みたいな興奮とミュの楽しさのみで、ツイ廃でありながら、公式以外のTwitterをフォローするということもありませんでした。その時はまだよく分かってなかったので、キャラと役者さんを同一視してしまいそう、というブレーキもあったんですよね。

そして、そんな様子のまま、ヘタライまでひたすらフランスとスペインに沸き、ブロマイドやグッズもその二カ国分(二カ国?)のみを集め、きたる2018年3月21日も、あくまでその延長線上として過ごしました。

過ごしたんですけど、まぁこのツイート見てほしいんですよね。

 

23:43 - 2018年3月21日

 

多分、私の心のなんかが、ほんとに浄化されたんだと思うんだな…。

さかのぼって、唯一見つけた片鱗らしきものがこれなんですよね。ただ、あとは特に何かツイートしてるとかではなく、「だったらメサイア見たらいいですよ」って勧められるままに22日にアマゾンで買って、23日に視聴し始めるんですよね。

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自主的に暁だけでなく悠久も買う私

何も知らないので、メサイアを観るテンションではない(スパイものであることすら知らんかった)
この約1ヶ月後にあんな布教記事
書くこになってるなんて全く知らない顔してる

 

この間にまじでなにがあったか良く分かってないんですけど、なんだったら、ヘタライ終わりに某俳優推しの友人に「若俳ヲタク大変そう」っていうのを散々話して別れてるんですよね…きれいにフラグ回収してしまったな…。

 そしてメサイア 暁乃刻を観賞しはじめて、実況があまりに煩すぎたのか、以下のツイートを最後に本垢から追い出し食らって、今の舞台アカウントができました。

 お分かりですね。いつきくんがようやく目覚めて、有賀さんに抱き起こされたまま、彼に手を伸ばしたシーンですね。

流れがきれいすぎる。

 

ただまぁ、なんかそんな感じで、「メサイアやべぇ」となり、既に取っていた(なんで暁観賞する前に確保してたのかは謎)月詠のチケットを前に、「やべぇもんを観ることになったぞ」と武者震いしながら、舞台ヲタクへの道を歩み始めたのでした。

(その後、悠久を観てさらにやべぇとなって、布教記事を書きました)

 

 

 

 

 

私は何にハマったのか?

これほんとしばらくは、よく分かんなかったんですよね。私は一体何にハマったんだ…? ってなってました。

まずもって、「メサイア」という作品にはかなりすっぽりハマってる自覚はすぐにあったんですよね。世界観も好きだし、それに関わるものすべてをひっくるめた「作品」としても大好きだし、できればずっと考えていたいなって思う作品なんです。

「はぁ…メサイア…好きだ……」

って、軽率に窓際で頬杖ついて恋患ってしまうので、間違いなくハマってると思うんです。

 

じゃあ此処一年の転機をもたらしたであろうヘタミュは?っていうと、やっぱりこれも好きなんですよね。

まず最初にヘタミュ観たときの感想が「えっっっっt、歌うの!???もしかして、ヘタミュのミュって、ミュージカルのミュ!??」だったレベルの私からすれば、鑑賞会したり、引き続き音源聞いたりしてるので、だいぶ好きだなという自覚もあります。というか、他に「ヘタミュのミュ」をなんの「ミュ」だと思ってたんだろう…。

ちなみに、突然歌い出す現象(ミュージカルなのであたりまえ体操)には、10分ぐらいで慣れました。これに関しては、昨年の秋に「DIVE!!」という舞台を観たいのですが、そのときも「えっっっっっっt全裸!?(海パンは履いてる)」と、開演直後に度肝を抜かれたものの、5分で慣れたので、まぁそういうことなんだと思います。

板の上の魔法にかかれば、突然歌おうが、全裸(+海パン)だろうが、作品が良ければ基本的に「そこじゃねえ」という感想に行き着くのだなと思いました。余談ですが。

というか、話戻って、ヘタミュに関してはまぁそれ以前から「好き~~~」っていうライトなファンだったので、特にこれといった特筆事項ではないんだった。

 

じゃあメサイアばっか追いかけてた1年かっていうと、やっぱりそこは違くて、どちらかといえば、推し(という言葉が正しいのか実はよくわかんないんですけど、便宜上、とりあえずこれで)の舞台とイベントを追いかけていたなぁと思います。

つまり、推しにハマったということになるんだと思うんですね。

ただ、その「推しにハマった」というのも、割と長い間、断言するにはしっくりこない、という日々を過ごしていました。

 

例えば以前に1X年ほどゴリゴリ推してたアーティストの場合はわっかりやすかったんですよね。とにかく現場至上主義みたいな感じで、ライブ、音源、各種雑誌、以上って感じで。ツイッターの更新もあったけど、仕事の告知しかなかったし、ファンクラブの会報も似たような感じだし。あとトークイベントとかもそんな無いので、プライベートってほんと見えなかったんですよね。(自ら情報収集することもなかったし)

なので、はっきりアーティストであるその人にハマったって言い切れたんですよね。

 

それが一方この一年ですよ。

 

行った現場といえば、

・舞台(各種)

・写真集のお渡し会

・トークイベント

・バースデーイベント

・カレンダーお渡し会

・番組の公開録画

・ファンミのゲスト出演

・DVDのリリースイベント

とかなんですよね。

 

そしてチェックしているメディアは

・Twitter(本人、公式)

・公式

・配信番組各種

・雑誌

等と、舞台関係以外にもたくさんあって、以前の自分の推し方?摂取する情報の違い?にすごい慄きました。

そして情報を浴びるほどに「私はいったい何にハマったんだ…?」って謎も深まっていきまして…。

まぁ以前のアーティストと活動領域も活動の仕方も違うので、一概に比較できるものでもないんですが、なにせ主観が同じ私なので、戸惑いはそれなりにあるわけです。

なので一時は齎される情報量をひたすら受動的に摂取し続けることに、まぁまぁ振り回されていた気がします。は~~これが情報社会ってやつね!!っていうのを頭からひっかぶったような心地でした。なんといっても、能動的にならずとも、かなりの情報がバンバカ入ってくるもんだから結構ビビったんですよね。

ただそんな中でも色々なイベントへ行くごとに、主観と客観視努力のはざまで、それなりに自分のメンタルのバランスも取れてきて(まだかなりミーハーだと思うんですけど)、今はなんとなく納得のいく意志?自我?を持てた気がします。

というのも、イベントなどにも行くには行くし、本人発信の色々なメディアも観るんですが、その動機の大きな部分がどちらかといえば「作品に掛ける想いやプロとしての話」を聞くのが好きだからなんだなと、こう色々聞く中での取捨選択をしていって分かったからなんですよね。もちろんフリートークなんかも楽しいな~と思いながら聞くんですけど、セブンルールとかガイアの夜明けで取材されてる人の休息時間を垣間見てるような心地というか。それは例えば、時折発信されるプライベートっぽい情報も、自分がビジネス用のFacebook更新する感覚かな……って腑に落ちたというのもあるかなぁ。なので純粋に「更新してくれて有難うございます〜」って素直に思えるようになりました。

まぁ、冷静になれば「そりゃそうだろう」みたいなことなんですけど、以前の推しとは得る情報の内容が大幅に違うもんだから、気付くのが大層遅れました。(誰に向けたものかは同じだったのにね)

あとはこう、あふれる情報を受信したときに、自分の中でそれをどう処理できるか、みたいなフィルターの数が増えた気がします。当初はマジで1個ぐらいしかなかったので、我が身を省みてかなりしんどい……。

とはいえ、気づけたことは大きな一歩だな、と自分では思っています。

だからこそ、「”役者:杉江大志”にハマった」んだと、今は誰に聞かれてもちゃんと答えられるなって思いました。

(当然ながらこれは、あくまで私の自意識だけの話です)

この一年という期間は、当初はただ熱に浮かされたみたいに「ハマったー!」と声を大にして、受け取る情報すべてをそのまま摂取・消費していた自分を、だいぶマシなものにしてくれたかなぁと思います。そして当時の自分には「もうちょっと落ち着いて」と、言えるものなら言いたいなぁ……まじで

何はともあれ情報の溢れる今だからこそ、受け取る側(観客、ファン、消費者 等)の立ち位置というのも明確にしておいたほうがいいなと改めて感じた次第です。でないとほんと、いつか自分も大きくやらかす側に立ったっておかしくないぞ、という危機感は常に隣り合わせだなと思ったりもした一年でした。

特に、二次元を消費してきたヲタクにとっては、なかなか考えされせられて、かつ、自分の道徳と倫理を試される一年にもなったなと思います。(もちろん二次元の向こう側にも人が居るので、それも忘れたら駄目ですね)

それこそ、ハマった当初は何かしらやらかしてる気がするので、あまり自分の言動は振り返りたくないですね…。自戒します…。そしてこれからも、気付いて補正できる自分でいたいですね……。

ファンには簡単になれるけれども、時間や金銭的な問題もひっくるめて、ファンを続けることはそう簡単じゃないな~と、そう思わせてもらえた経験は本当に有難かったです。

あとこんだけ書いといてなんですけど、別に何かあったとかでは無いです。

 

 

 

 

チェキ

あれはほんと、不思議なものでさぁ。

そもそもチェキって結婚式の二次会でしか撮ったことなくてさぁ。システムは知ってるけど、まぁそういう特典があると分かったときは「は~なるほどね~~」ってなったんですよね。

そんでまぁ臨むわけですけど、それはそれはもうまず、準備が大変。

いやチェキもイベントも主催が自動でやってくれるので、我々は列に並ぶだけなんですけど、そうじゃなくて、みんな知ってることなんですが、まぁチェキって写りが悪い!!!!

は?なめてんの????ってぐらい写りが悪いんだわ。しかも局地的に悪くて、具体的には自分の顔面がやべぇ。(人のを見せてもらったときはそんな思わなかったので、私だけかもしらんけど)

そのヤバさがどれぐらいかっていうと、インフルエンザ二日目の高熱出してるときですらここまでじゃないってぐらいすごい。

推しは良い。

驚くことに、推しはチェキなどものともしない、それはほんと凄いなって、いつも「はぁ~~~」って北島三郎なみに唸ってる。

「なるほどなぁ~」って声が出るぐらいの、アレがある。感慨が。

でもほんと、自分やべぇ。初めて撮る前に、さんざん「あれはやべぇ」と言われて恐怖のどん底のままイベントへ赴いて、そもそもイベント自体が1分1秒「やべぇ」の連続だったんだけど、いざその瞬間って「隣におわしますは、推し」じゃないですか。

「この人があの…」

という、感動と緊張を全身に浴びてるうちに撮影されちゃうじゃないですか。

だからもう、せめてその瞬間には何も手間取ることなく映してもらえるように、推しの隣へフレームインできるように、下準備をするわけですよ。

その準備が、ま~~~~~~大変!!!!!



て人間らしく

って望みがそんなに高いもんかな〜〜〜〜???ってぐらい、人権がないので、そりゃ必死。

おかげで、去年はめちゃくちゃ美容垢をフォローしたし、コスメ買い漁って、服買って、美容院行って、ほんと色々した。(これでもほんと色々やったほう)

やあやあ我こそは経済を回す者なり、という自負のもとで色々やった。

けどほんと、敗北に次ぐ敗北で、勝てた試しがない。

それでも私は前を向いて、立ち向かい続ける。そうしていつか、至高のチェキをこの手に取ってみせる。チェキだけに。

 

まぁそれは置いておいて、どうしてそこまでしてチェキを撮ってしまうのか…。この1年で今までに無いってぐらい、自分の顔が映った写真みたよ…。推しだけでいいじゃん……。なんで自分まで……。普段全然撮らないのに…。やべぇ顔で映っちゃうの分かってるのに…。

なぜチェキは……。

 

まぁ、撮っちゃうんだよな~~。

 

 

 

 

 

なんやかんや言うて楽しい

これに尽きるんですよねぇ。

この一年、ほんとあっという間でいろんな舞台みて、イベント参加して、配信みて、とかしたんですけど、「ワーー」って思ってる間にもう一年ですもん。

推しの作品やメディア活動を観るのはほんと楽しいし、いまや、やる気の源にもなっています。

もちろん、それだけで生きているわけではないので、まぁまぁ凹むときもあるんですけど、そんな時に限って週末に観劇予定があると、ある程度の回復はそこで図れちゃうんですよね。なので、ならしてみれば、すーげえ楽しい一年だったなって思います。

そして、この一年で新たに出会えた人たちにもほんと感謝しかないです。

「現場にいくと誰かいる」っていうのも、嘘だろって思ってたけどほんとにそんな感じだし、同じ好きを共有できるのがこんなに楽しいもんか!ってめちゃくちゃ思いました。

ありがてえ~~~~。

あとは、そんな自分を指して「楽しそう」と言われることが増えたのも、わりかし自慢です!

言われる度に、いや実はさ、と話せることがあるのはとても良いことだなぁと思うので。

 

 

総評:

なかなか上々な一年でした。引き続き宜しくお願いいたします!

 

 

かしこ

2019年3月21日

ワタシより