いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

私は人を殺したことがない。

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こんにちは。私です。

 

突然ですが私は人を殺したことがありません。

いきなりすぎて怖かったですか、すいません。

ただまぁそのおかげで、こうして自由気ままに時間の許す限り、自分のしたいことをしたいようにすることができます。

そして今の所、その「したいこと」の上位にランクインしているのが「観劇」です。

告知を見て、予定を合わせて、チケットを取って、時には遠征して、当日を迎えれば劇場へ赴き、数時間を演劇に向き合って過ごしています。

それはとても楽しい時間で、まさに至福のときです。

そのあとには、現場のオタクとあーだこーだと感想を言い合ったり、このブログを書いたり、まぁかなり「観劇」と「観劇に付随する行為」を楽しんでいる方だと思います。

 

さてこの「演劇」「舞台」というものをライフワークにしてから、たくさんの舞台を観ました。がっつりハマったのが去年の3月21日なのですが、それ以前と、それ以降の1年を比べてみると、以前には年に1〜2回だった舞台鑑賞が、以降の1年では何十倍にもなりました。DVDや配信も含めるともっとかなぁ。

とはいえ、未だに私は演劇素人でしかなく、いわゆる「演劇人」と言われる人たちが見るような目線で観劇するには至りません。

例えばお名前出して恐縮なんですが、ライターの横川さんのレポートとかを読むと「ははぁ〜」って唸ることがよくあります。舞台を観て、その時の感覚を言語化できるのはなんて素晴らしいんだっていつも思うんですが、「好きなキャラクターが光の中でブワッとなった」ぐらいにしか私には表現できなくて残念無念極まりないです。更に言えば、「あの演劇手法が」とか「あの役者は、この演出家とのやり取りを経てこういう味わいが出た」とか、そういう深いことは、とてもじゃないけどもっと言えそうに無いわけです。まぁ言えるようになるつもりもないんですけど。

それでも素人なりに舞台を楽しんで観ています。

いやほんと楽しくないとあんなに舞台観れないですしね。

そしてこれは、あくまで素人であると自覚している私が、決して思い上がりや奢りや天を衝くようなプライドによって言っているわけではないとご理解いただいた上での話なんですが。

 

「素人」イコール「馬鹿」ではないと思うんですよね。

 

これが今回の記事の本題です。

いやほんと、そう思うんですよね。素人なりに。

前述の通り、私の持ってる「演劇」に関しての知識って、一番それっぽいので「カミテ・シモテ」「マチネ・ソワレ」ぐらいです。やばいよね。

それについては、ほんとすいません。

それでもですよ。

少なくとも、私は友情がどういうものか知っていますし、家族というものも知っています。もっと言えば、恋も失恋も知っているし、上司と部下という関係性や、ほんのちょっとしたことで腹が立って仕方が無い日があることも、何をするのも嫌な日があることも、一方で、好きな人のほんの些細な一言で有頂天になって街中で歌いだしそうな心地になれることも知っています。

または、料理の仕方を知っています。勉強がめんどくさく感じることも、一方で問題が解けたときの楽しみも知っています。朝の爽快感も、または、もっと寝ていたい朝があることも。歩き方も走り方も、笑い方も泣き方も、怪我をすると痛いとか、そういうことも知ってるわけですよ。

極論、舞台を作る人が送る日常と同じものを、私も概ね送っているつもりなので、その人達が持っている一般教養や感覚は持ち合わせているつもりです。

 

もちろん、詳細を突き詰めるなら、人によって思い描くそれぞれのイメージや感覚は違うと思います。

例えば、私にとっての「朝」は11時ぐらいまでを指すんですが、それが9時ぐらいまでの人だっているでしょうし。それらが私個人の持つイメージや感覚であることは百も承知しています。

同様に、舞台に立つ人たちが思い描くそれらも、私の持つものとは多少なりと違うでしょう。

 

それでも、俳優たちが舞台の上に生み出すキャラクターたちの感情や意志は、とても生々しく、そしてきっと、彼らの意図したように受け取ることが出来るんですよね。

 

あ、いまこの人は悲しいんだな、とか。

わかる、嬉しいよね、とか。

うわ、めんどくさそう、とか。

だからそういう行動するのか、とか。

なるほど、あの言動はそのためか、とか。

 

そういういろんな事を、確かに受け取ることができます。

あちら側とこちら側の日常的な感覚の共有があって、さらに、各人が持つ感覚の誤差を修正しうるだけの説得力があって、「意図」や「仕掛け」に対する相互理解が生まれるんだろうなって思います。

あくまでフィクションなんですけどね。

それって本当すごいなって、いつも思っています。

だって、日常なわけがないんですよ。ホームビデオじゃないので。あくまでフィクションなのに、感覚が共有されて、没入していってしまう、あの感じ。

 

現実と非現実を混ぜ合わせた舞台だからこその醍醐味って、本当そういうところじゃないかなって思います。

共有している感覚や日常があって、そこに加わるフィクションが如何に現実味を伴って共有されるかっていう。

さらには、そこにストーリーやメッセージがあって、それを語るにしろ、潜ませるにしろ、いかに鮮明に観客の心にぶつけるかって、とてもじゃないけど同じ人間の思考とは思えないくらい脱帽しています。いつも。

ほんと、舞台って面白いんですよね。

面白いって思えるだけのものを、私は観劇するたびに共有させてもらってて、それはきっと、舞台を作っている人たちが懸命に育てて、意図して、伝えてくれたものなんですよね。

 

繰り返しになりますが、素人だって、馬鹿じゃないんですよ。

 

そういうものは、伝わります。

何より、舞台が好きだからこそ、こちらも懸命に意図を理解しようと努めます。

誰だったか忘れたんですけど、「趣味こそ本気でやらんと意味ないだろ」みたいなこと言った人がいませんでしたっけ。それほんとに思うんですよね。

趣味だからこそ、本気で取り組みたいんですよ。こちとらマジで。

だから、「この舞台は何を伝えようとしてるんだろう」って頭を働かせて、目端を聞かせて、グルグル考えるわけです。

だからほんと、これだけ言いたいんです。

 

素人だって馬鹿じゃないんだから、伝わらないのをこっちのせいにしないでほしい。

 

何とは言わないんですけど、ほんとに何も伝わらない舞台ってあるんだなって痛感しました。なーーんにもなかった。ただ頑張っている俳優を観ただけだった。子供の運動会じゃないんだから。まだそっちのが感動するわ。

素人だって馬鹿じゃない、伝えてくれたものはしっかり受け取ろうとしてるし、そうしてきた。そして、一方でさ。伝えようとするのはプロとして当たり前なのでは?とも思うんですよ。

相互理解なんですよ、相互理解。つまり、相互に作用して初めて舞台って完成するんですよ。

こっちは舞台を向いてんのに、そっちが明後日向いてたら相互理解なんか生まれるわけ無いじゃん。

何が言いたいの?

俳優の口と体を借りて、何を言わせたかったの?

本当に何も伝わらなかったし、察することができなかった。ただ、やりたいことは何となく分かるのがダサい。なんかこう、ここはカッコよく決めたかったんだな、とか。ちょっと小難しい感じにしたかったんだな、とか。やりたいことは分かるけど、できてないのでダサい。しかも、出来るはずの俳優揃えてるのがなおダサい。

他の舞台でその俳優が、そういう意図をもったシーンを完璧に演じてるの観たわ。

それもう観たんだわ。

 

頼むから、これ以上、素人を馬鹿にするみたいな作品は上演しないでほしい。

 

この土日で、ほんとそう思いました。

素人って、何度も言うけど、馬鹿じゃないんだよね。だから、そういう「うわぁ、バカにされてる」というのは分かるんだよね。

実際、馬鹿にしようとしてバカにしてるかは分からんけど、こっちがそう感じる時点で、伝え方が間違ったかも知れないと自問してほしいです。

 

ただ、勘違いしてほしくないんですが、私は心底から舞台を作り上げるって凄いことだと思っています。

 

だって、私は人を殺したことがない。

 

今こうして日常を過ごしている私には当たり前のことですが、実際に人を殺すなんて、したことがあるわけないんです。

けれども、そんな私でも舞台の上で「人を殺すことについて苦悩する」人に感情移入し、想いを寄せて、涙したことがあります。

それを演じた俳優だって、もちろん誰かを殺したわけじゃない。

それでも、その俳優が演じたシーンに作り手の意図があって、意味があって、相互理解と説得力があれば、私は何度だってその想いに寄り添って泣くでしょう。 

 

同じく、わたしには特殊能力もないし、スポーツも特にしないし、ミュージカル演りたいとも思わんし、刀も銃も使えません。

それでも、意図や意思や、メッセージを推し量って、受け取って、噛み砕いて共感することはできます。

 

舞台はそうやって、非日常を共感させるレベルにまで私たちを誘ってくれるんですよね。私たちが経験したことのある、それ以上のものを見せてくれて、それだけでなく共有させてくれる、そういう舞台がたっっくさんあります。

それって本当に凄いことだし、尊敬の念が尽きません。

まさにエンターテイメントという芸術だと思います。

 

私が観たいのはそういう舞台です。

ただ人を殺す、というのではなく。そのシーンに、そういう道筋が生まれるような、生み出された道筋に寄り添えるような、そういう舞台を私は観たいんです。

 

素人ながらも、しっかりと舞台を見据えるので。どうか、作り手の皆様にも観客の方を向いて欲しいと心から思いました。

 

 

 

4/17.追記:「私が観たあの舞台のこと…?」と全然違う舞台のことをご心配されてる方をお見かけして、申し訳なくなったのでもう明記しておきますが、桃源郷ラビリンスです。

拝啓 ワタシ様 【舞台にハマったオタクの一年分覚書】

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ほ~~~~ん

って感じです。

いやなんのこっちゃってかんじだと思うんですけど、自分で自分に「ほ~~~~ん」ってなりました、この1年。

今日という日に合わせて、なんかその気持ちをアウトプットしようかなって思った記事です。

タイトルどおり、なんかすっかり舞台ヲタクになった私から、非舞台ヲタだった私へ向けた活動報告みたいな感じです。マジで自分のなかにミリも無かった思考や嗜好や行動ばかりの1年だったので、すごい楽しくてあっという間で、あとビッグバンの連続でしたね…。

何しろそれ以前の自分に、欠片も舞台や若俳にハマる要素無かったので、なんかその謎を解明すべく、我々はジャングル奥地へと足を踏み入れた……みたいな内容です。ではどうぞ。

(観劇した舞台や、イベントの記録ではないです)

 

 

 

 

2018年3月21日

ピンと来る人は多分地球をまるくかいてた人だと思うんですけど、ヘタライ千秋楽です。たぶんそこが分岐点…。

かくいう私もヘタライ観に行ってまして、これでもかってぐらい、まるかいて、トークに腰いわしそうになりながら泣き腫らした顔面で帰宅した者です。

ただまぁ生粋の二次元ヲタクで、そりゃもうウン十年と二次元にて活動しておりまして、しかもどっちかといえば、いわゆる「2.5」には眉を顰めていた人でした。そんな中でのヘタリアの2.5化は、まぁ横目に眺めて、自分には関係ねーなって感じで斜に構えてたクチなんですけど、それでも一番好きな「フランス」と「スペイン」が一緒に舞台に立つらしいという情報に、GWから劇場へと赴くことに相成りました。

いやもうこれには、今となっては感謝しか無いんですけど、キャスト・スタッフ・演出脚本の皆様の手腕により、それはそれはすげぇもんがご用意されていて、メチャクチャに楽しませていただきまして、なんだったらすぐチケット増やしたんですよね…。

先入観ってこえ〜〜〜ってなったイチ場面でした。

ただ、それはあくまでも「自分の好きなキャラが動いてる~~~」みたいな興奮とミュの楽しさのみで、ツイ廃でありながら、公式以外のTwitterをフォローするということもありませんでした。その時はまだよく分かってなかったので、キャラと役者さんを同一視してしまいそう、というブレーキもあったんですよね。

そして、そんな様子のまま、ヘタライまでひたすらフランスとスペインに沸き、ブロマイドやグッズもその二カ国分(二カ国?)のみを集め、きたる2018年3月21日も、あくまでその延長線上として過ごしました。

過ごしたんですけど、まぁこのツイート見てほしいんですよね。

 

23:43 - 2018年3月21日

 

多分、私の心のなんかが、ほんとに浄化されたんだと思うんだな…。

さかのぼって、唯一見つけた片鱗らしきものがこれなんですよね。ただ、あとは特に何かツイートしてるとかではなく、「だったらメサイア見たらいいですよ」って勧められるままに22日にアマゾンで買って、23日に視聴し始めるんですよね。

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自主的に暁だけでなく悠久も買う私

何も知らないので、メサイアを観るテンションではない(スパイものであることすら知らんかった)
この約1ヶ月後にあんな布教記事
書くこになってるなんて全く知らない顔してる

 

この間にまじでなにがあったか良く分かってないんですけど、なんだったら、ヘタライ終わりに某俳優推しの友人に「若俳ヲタク大変そう」っていうのを散々話して別れてるんですよね…きれいにフラグ回収してしまったな…。

 そしてメサイア 暁乃刻を観賞しはじめて、実況があまりに煩すぎたのか、以下のツイートを最後に本垢から追い出し食らって、今の舞台アカウントができました。

 お分かりですね。いつきくんがようやく目覚めて、有賀さんに抱き起こされたまま、彼に手を伸ばしたシーンですね。

流れがきれいすぎる。

 

ただまぁ、なんかそんな感じで、「メサイアやべぇ」となり、既に取っていた(なんで暁観賞する前に確保してたのかは謎)月詠のチケットを前に、「やべぇもんを観ることになったぞ」と武者震いしながら、舞台ヲタクへの道を歩み始めたのでした。

(その後、悠久を観てさらにやべぇとなって、布教記事を書きました)

 

 

 

 

 

私は何にハマったのか?

これほんとしばらくは、よく分かんなかったんですよね。私は一体何にハマったんだ…? ってなってました。

まずもって、「メサイア」という作品にはかなりすっぽりハマってる自覚はすぐにあったんですよね。世界観も好きだし、それに関わるものすべてをひっくるめた「作品」としても大好きだし、できればずっと考えていたいなって思う作品なんです。

「はぁ…メサイア…好きだ……」

って、軽率に窓際で頬杖ついて恋患ってしまうので、間違いなくハマってると思うんです。

 

じゃあ此処一年の転機をもたらしたであろうヘタミュは?っていうと、やっぱりこれも好きなんですよね。

まず最初にヘタミュ観たときの感想が「えっっっっt、歌うの!???もしかして、ヘタミュのミュって、ミュージカルのミュ!??」だったレベルの私からすれば、鑑賞会したり、引き続き音源聞いたりしてるので、だいぶ好きだなという自覚もあります。というか、他に「ヘタミュのミュ」をなんの「ミュ」だと思ってたんだろう…。

ちなみに、突然歌い出す現象(ミュージカルなのであたりまえ体操)には、10分ぐらいで慣れました。これに関しては、昨年の秋に「DIVE!!」という舞台を観たいのですが、そのときも「えっっっっっっt全裸!?(海パンは履いてる)」と、開演直後に度肝を抜かれたものの、5分で慣れたので、まぁそういうことなんだと思います。

板の上の魔法にかかれば、突然歌おうが、全裸(+海パン)だろうが、作品が良ければ基本的に「そこじゃねえ」という感想に行き着くのだなと思いました。余談ですが。

というか、話戻って、ヘタミュに関してはまぁそれ以前から「好き~~~」っていうライトなファンだったので、特にこれといった特筆事項ではないんだった。

 

じゃあメサイアばっか追いかけてた1年かっていうと、やっぱりそこは違くて、どちらかといえば、推し(という言葉が正しいのか実はよくわかんないんですけど、便宜上、とりあえずこれで)の舞台とイベントを追いかけていたなぁと思います。

つまり、推しにハマったということになるんだと思うんですね。

ただ、その「推しにハマった」というのも、割と長い間、断言するにはしっくりこない、という日々を過ごしていました。

 

例えば以前に1X年ほどゴリゴリ推してたアーティストの場合はわっかりやすかったんですよね。とにかく現場至上主義みたいな感じで、ライブ、音源、各種雑誌、以上って感じで。ツイッターの更新もあったけど、仕事の告知しかなかったし、ファンクラブの会報も似たような感じだし。あとトークイベントとかもそんな無いので、プライベートってほんと見えなかったんですよね。(自ら情報収集することもなかったし)

なので、はっきりアーティストであるその人にハマったって言い切れたんですよね。

 

それが一方この一年ですよ。

 

行った現場といえば、

・舞台(各種)

・写真集のお渡し会

・トークイベント

・バースデーイベント

・カレンダーお渡し会

・番組の公開録画

・ファンミのゲスト出演

・DVDのリリースイベント

とかなんですよね。

 

そしてチェックしているメディアは

・Twitter(本人、公式)

・公式

・配信番組各種

・雑誌

等と、舞台関係以外にもたくさんあって、以前の自分の推し方?摂取する情報の違い?にすごい慄きました。

そして情報を浴びるほどに「私はいったい何にハマったんだ…?」って謎も深まっていきまして…。

まぁ以前のアーティストと活動領域も活動の仕方も違うので、一概に比較できるものでもないんですが、なにせ主観が同じ私なので、戸惑いはそれなりにあるわけです。

なので一時は齎される情報量をひたすら受動的に摂取し続けることに、まぁまぁ振り回されていた気がします。は~~これが情報社会ってやつね!!っていうのを頭からひっかぶったような心地でした。なんといっても、能動的にならずとも、かなりの情報がバンバカ入ってくるもんだから結構ビビったんですよね。

ただそんな中でも色々なイベントへ行くごとに、主観と客観視努力のはざまで、それなりに自分のメンタルのバランスも取れてきて(まだかなりミーハーだと思うんですけど)、今はなんとなく納得のいく意志?自我?を持てた気がします。

というのも、イベントなどにも行くには行くし、本人発信の色々なメディアも観るんですが、その動機の大きな部分がどちらかといえば「作品に掛ける想いやプロとしての話」を聞くのが好きだからなんだなと、こう色々聞く中での取捨選択をしていって分かったからなんですよね。もちろんフリートークなんかも楽しいな~と思いながら聞くんですけど、セブンルールとかガイアの夜明けで取材されてる人の休息時間を垣間見てるような心地というか。それは例えば、時折発信されるプライベートっぽい情報も、自分がビジネス用のFacebook更新する感覚かな……って腑に落ちたというのもあるかなぁ。なので純粋に「更新してくれて有難うございます〜」って素直に思えるようになりました。

まぁ、冷静になれば「そりゃそうだろう」みたいなことなんですけど、以前の推しとは得る情報の内容が大幅に違うもんだから、気付くのが大層遅れました。(誰に向けたものかは同じだったのにね)

あとはこう、あふれる情報を受信したときに、自分の中でそれをどう処理できるか、みたいなフィルターの数が増えた気がします。当初はマジで1個ぐらいしかなかったので、我が身を省みてかなりしんどい……。

とはいえ、気づけたことは大きな一歩だな、と自分では思っています。

だからこそ、「”役者:杉江大志”にハマった」んだと、今は誰に聞かれてもちゃんと答えられるなって思いました。

(当然ながらこれは、あくまで私の自意識だけの話です)

この一年という期間は、当初はただ熱に浮かされたみたいに「ハマったー!」と声を大にして、受け取る情報すべてをそのまま摂取・消費していた自分を、だいぶマシなものにしてくれたかなぁと思います。そして当時の自分には「もうちょっと落ち着いて」と、言えるものなら言いたいなぁ……まじで

何はともあれ情報の溢れる今だからこそ、受け取る側(観客、ファン、消費者 等)の立ち位置というのも明確にしておいたほうがいいなと改めて感じた次第です。でないとほんと、いつか自分も大きくやらかす側に立ったっておかしくないぞ、という危機感は常に隣り合わせだなと思ったりもした一年でした。

特に、二次元を消費してきたヲタクにとっては、なかなか考えされせられて、かつ、自分の道徳と倫理を試される一年にもなったなと思います。(もちろん二次元の向こう側にも人が居るので、それも忘れたら駄目ですね)

それこそ、ハマった当初は何かしらやらかしてる気がするので、あまり自分の言動は振り返りたくないですね…。自戒します…。そしてこれからも、気付いて補正できる自分でいたいですね……。

ファンには簡単になれるけれども、時間や金銭的な問題もひっくるめて、ファンを続けることはそう簡単じゃないな~と、そう思わせてもらえた経験は本当に有難かったです。

あとこんだけ書いといてなんですけど、別に何かあったとかでは無いです。

 

 

 

 

チェキ

あれはほんと、不思議なものでさぁ。

そもそもチェキって結婚式の二次会でしか撮ったことなくてさぁ。システムは知ってるけど、まぁそういう特典があると分かったときは「は~なるほどね~~」ってなったんですよね。

そんでまぁ臨むわけですけど、それはそれはもうまず、準備が大変。

いやチェキもイベントも主催が自動でやってくれるので、我々は列に並ぶだけなんですけど、そうじゃなくて、みんな知ってることなんですが、まぁチェキって写りが悪い!!!!

は?なめてんの????ってぐらい写りが悪いんだわ。しかも局地的に悪くて、具体的には自分の顔面がやべぇ。(人のを見せてもらったときはそんな思わなかったので、私だけかもしらんけど)

そのヤバさがどれぐらいかっていうと、インフルエンザ二日目の高熱出してるときですらここまでじゃないってぐらいすごい。

推しは良い。

驚くことに、推しはチェキなどものともしない、それはほんと凄いなって、いつも「はぁ~~~」って北島三郎なみに唸ってる。

「なるほどなぁ~」って声が出るぐらいの、アレがある。感慨が。

でもほんと、自分やべぇ。初めて撮る前に、さんざん「あれはやべぇ」と言われて恐怖のどん底のままイベントへ赴いて、そもそもイベント自体が1分1秒「やべぇ」の連続だったんだけど、いざその瞬間って「隣におわしますは、推し」じゃないですか。

「この人があの…」

という、感動と緊張を全身に浴びてるうちに撮影されちゃうじゃないですか。

だからもう、せめてその瞬間には何も手間取ることなく映してもらえるように、推しの隣へフレームインできるように、下準備をするわけですよ。

その準備が、ま~~~~~~大変!!!!!



て人間らしく

って望みがそんなに高いもんかな〜〜〜〜???ってぐらい、人権がないので、そりゃ必死。

おかげで、去年はめちゃくちゃ美容垢をフォローしたし、コスメ買い漁って、服買って、美容院行って、ほんと色々した。(これでもほんと色々やったほう)

やあやあ我こそは経済を回す者なり、という自負のもとで色々やった。

けどほんと、敗北に次ぐ敗北で、勝てた試しがない。

それでも私は前を向いて、立ち向かい続ける。そうしていつか、至高のチェキをこの手に取ってみせる。チェキだけに。

 

まぁそれは置いておいて、どうしてそこまでしてチェキを撮ってしまうのか…。この1年で今までに無いってぐらい、自分の顔が映った写真みたよ…。推しだけでいいじゃん……。なんで自分まで……。普段全然撮らないのに…。やべぇ顔で映っちゃうの分かってるのに…。

なぜチェキは……。

 

まぁ、撮っちゃうんだよな~~。

 

 

 

 

 

なんやかんや言うて楽しい

これに尽きるんですよねぇ。

この一年、ほんとあっという間でいろんな舞台みて、イベント参加して、配信みて、とかしたんですけど、「ワーー」って思ってる間にもう一年ですもん。

推しの作品やメディア活動を観るのはほんと楽しいし、いまや、やる気の源にもなっています。

もちろん、それだけで生きているわけではないので、まぁまぁ凹むときもあるんですけど、そんな時に限って週末に観劇予定があると、ある程度の回復はそこで図れちゃうんですよね。なので、ならしてみれば、すーげえ楽しい一年だったなって思います。

そして、この一年で新たに出会えた人たちにもほんと感謝しかないです。

「現場にいくと誰かいる」っていうのも、嘘だろって思ってたけどほんとにそんな感じだし、同じ好きを共有できるのがこんなに楽しいもんか!ってめちゃくちゃ思いました。

ありがてえ~~~~。

あとは、そんな自分を指して「楽しそう」と言われることが増えたのも、わりかし自慢です!

言われる度に、いや実はさ、と話せることがあるのはとても良いことだなぁと思うので。

 

 

総評:

なかなか上々な一年でした。引き続き宜しくお願いいたします!

 

 

かしこ

2019年3月21日

ワタシより

暁を手向けに:後編 【メサイア トワイライト 黄昏の荒野ネタバレ感想】

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まさかの感想文が前後編という事態に…。

いやほんとすいません…あと感想文へのご感想などを最近ツイッターでいただくのですが、恐縮しつつも「わかる〜〜」と言ってもらえると、ほんと感情のシェアができてハチャメチャに嬉しいです。

他にも私の感想を読んで「私はそうじゃなくて、こう思った」という話を聞けるのもほんと楽しくて仕方ないんですよね。なんかそういうの凄いメサイアっぽい~~って一人でエモくなっています!(メサイアとは)

ありがとうございます!

どこまで楽しませてくれるんだ、メサイアコンテンツ!!大好き!

 

というわけで、「メサイア 黄昏の荒野」感想:前編で書いた「サリュート」と「スーク」以外の書ききれなかった部分を後編にまとめました!

よろしければお付き合いください😌

 

 

前編はコチラ▼

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CAUTION!

この記事は、「MESSIAH トワイライト 黄昏の荒野」を観劇したオタクがネタバレに配慮せず書いています。

いち個人が「こんなふうに思ったんだよね〜」と吐露するように書いている、あくまで感想文です。こうだったからこうかなって思った程度のやつなので、辻褄合わせや考察等の凄いやつではないです。基本的には感情のみで書いていますので、ご了承ください。

ちなみに目次からネタバレです。

 

 

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暁を手向けに:前編 【メサイア トワイライト 黄昏の荒野ネタバレ感想】

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いうて、「スピンオフ」だと思うじゃないですか。外伝というか、番外編というか。刻シリーズを本筋とするなら、それとは別の、いわばサイドストーリーだと思うじゃないですか。

ところがやっぱり甘かったなぁと思ったんですよね。ほんと甘かった。
間違いなくメサイアだった。

っていうかほんと、スピンオフって「明日に向かって乗れ」みたいなやつのことやからな!!!!!!!!!

おかげで、観終わってすぐの私がこちら。

 

そしてネタバレに極限まで配慮した感想がこちら。

 

ほんま、お察しください。

そういうわけで、ネタバレしかない感想を1回目の観劇後から書き始めて、大千秋楽後も消化しきれないままポチポチしています。まだまだ謎だらけだったり、記憶違いあるかもしれないんですが、アウトプットしないと死んでしまう。おなかいたい。

そういう、ありったけの感想を込めた記事になっております。

ではどうぞ。

(以下は目次からすべてネタバレです)

 

 

CAUTION!

この記事は、「MESSIAH トワイライト 黄昏の荒野」を観劇したオタクがネタバレに配慮せず書いています。

いち個人が「こんなふうに思ったんだよね〜」と吐露するように書いている、あくまで感想文です。こうだったからこうかなって思った程度のやつなので、辻褄合わせや考察等の凄いやつではないです。基本的には感情のみで書いていますので、ご了承ください。

ちなみに目次からネタバレです。

 

 

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あなたがいるから夜も眠れる【メサイア-幻夜乃刻-ネタバレ感想】

この記事は、映画【メサイア-幻夜乃刻-】を鑑賞したオタクが書いています。
幻夜を含むメサイアシリーズのネタバレが山程含まれますので、まだ観ていない方はご注意ください。

 

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当初、この記事のタイトルを「ダイヤモンドの煌めきを観た」として、下書きに保存していました。確か、1回目と2回目の鑑賞の間に新規作成したんだったかな……。

その時は、1度目に観た幻夜の衝撃に唖然としたまま、とにかく思い出せたのが加々美の涙で、それが大スクリーンにめちゃくちゃ美しかったもんだから「良かったね……良かったね……」って、もはや何に対してなのか分からない大雑把な気持ちとともに、
そんなタイトルを付けたんだったと思います。

実際、観終わった日の自分の感想ツイートやLINEを見返してみたら、「良かった……」だけで、あとは加々美の目が綺麗だったことしか言ってませんてした。笑う。

いやでもあれは美しすぎた……。

 

あとはなんか呆然としたまま、感想も書けずに今日まできてしまった感じです。

とはいえ、その後も何回か見て、なんかようやく感想をアウトプットできるぐらいには「メサイア-幻夜乃刻-」が私の中で腑に落ちてきたので、覚書の意味も込めてこれを書き始めました。

どれぐらいの文量になるのか分からないんですが、今の感想を置いとこうと思います。(多分、今後見るたびに変わると思うし……)

では、どうぞ。

 

 

それほどでもない作品

初日に観終わって、そのあとに思ったのは「それほどでもないな」でした。
ちなみにこの比較対象は、これまでのメサイア作品群です。

たとえば、この「それほどでもないな」というのは、めちゃくちゃ恐れていた加々美の死や、それに類する出来事が起こったらどうしよう、といった嫌な想像が結局は大団円で終わったので拍子抜けだったのもあります。あとは「照日の杜」や「第三組織(テロ組織)」などが出てこないので割とメサイアにしては大人しいなって印象だったし、たぶんその辺ひっくるめて「そうでもないな」って思いました。

 

当初は。

 

 前述もしたんですけど、「それほどでもないなー」の他には本当に「良かったな」しか感想が浮かばなかったんですよね。

ただ、3回目ぐらいからは、呆然とした心地がようやく去って、代わりになぜだかボロボロ泣いてました。

別に誰も死なないし(ヤマシロ死んでるけど)、悲劇は起きたけど(ヤマシロに)加々美にも有賀にもこれといってダメージないし、と思うのに、なんでか泣いちゃうんですよね。

しかも、暁や月詠と比べて、誰が死んで悲しい、みたいな明確な理由が見当たらないもんだから、「なんか知らんけど、エモさで泣く」とか零していました。

 

そんで4回目あたりから「おかしいな」って気付き始めて、
以降ようやく思い当たったんですよね。

 

こんなに感想をアウトプットできない作品っておかしくない??

 

そこから、なんでこんなに泣くんだ?の理由探しみたいなのも兼ねて幻夜を観るようになって、昨日ぐらいに漸くなんか感想らしきものが出るようになりました。

そして今は「良かったな」の代わりにこう思っています。

 

「幻夜がこわい」と「すっごく悲しい」

この2つです、私の幻夜の感想は。

 

いやだって、ひどいよ。
あんなの、なんてものを観せられたんだと今は思います。

ひどすぎる。

脚本に毛利さん、脚本協力に西森さんが入られていることを、今はヒシヒシと感じます。月詠のときも大概「ひどいひどい」と思っていたけど、今はもっと思ってしまいます。

 

そうなんだよなぁ、これがメサイアなんだなぁ、って改めて思いました。

以下ではもう少し噛み砕いて感想書きたいと思います。

 

 

 

 

加々美いつきの悪夢のはなし

前作:メサイア-月詠乃刻-の冒頭に加々美の独白があります。

南トランで一体どんな任務を受けて、何をしたらあんなに血を吐くみたいな独白出てくるんだろうと思いながら泣いてたんですけど、幻夜で答えが出ましたね。

確かにこれは月詠の続きなんだと思い出させる動機でした。

そして、一番の疑問だった告知ポスターのテキスト。

 

「これが夢なら、醒めないでほしい」

 

これなんですけど、これの意味がずっとわかりませんでした。

え、みんなすぐ分かったのかな……。いやまぁ正解とかないので、以下はただの私の解釈なんですけれども。

 

このテキストを告知で見たときには、もっと優しい意味だと思ってました。甘かったなぁ。
そして幻夜本編を劇場で見てからは、夢っておそらく悪夢のことだろうけど、それって「醒めないでほしい夢か???」ってずっと思ってました。

でもその後に有賀が言うセリフを忘れてた ……。

「俺もいる」と言い切った有賀。

彼もその悪夢(ナイトメア)の中にいるから、加々美はそこにいたいって言うのか……って思いました。

 

いや、ほんとマジでそれってどうなの????

 

有賀と加々美というメサイアにとっては、きっとようやく辿り着いたアンサーなんだろうなと思います。でも、見ている私にとっては、あまりに希望がない……。そんな悲しいことある……?

最初見たときは、「お前がいるから」って笑った加々美に、すーーーーーーっごくホッとしたんです。「よかったね〜〜〜〜〜」ってなりました。いやほんと、最高のエンディングだと思った。それはまぁ変わらないんだけど。変わらないけど、同時にとてつもなく悲しい。悲しすぎる。

たとえ命が尽きると分かっていても、メサイアと共にそのもの自身が悪夢と成り果てて、信じる正義のもと、銃とナイフで真向かうっていう……その決意がすっごく悲しい。

誰も苦しまない、悲しまない世の中に、二人もちゃんとカウントしてほしい。

いや本人たちは別に、それが幸せだと言うのかもしれないけど、こっちはそんなこと知ったこっちゃねえし、当たり前の幸せを享受してほしい……。そう思ってしまう……。

そう思ってしまうコチラ側なんかお構いなしに置き去りにして、すっかり悪夢に身をやつしていて、彼らはそれでいいと笑っていて、でもでもだって、という堂々巡りです。

有賀と加々美のメサイアだけを見ていると、本当に心の底から「良かったね」って思う。思ってたんだけど、どうしてもヤマシロの存在が幻夜において、観ているコチラがこんなにも苦しむ要因になっていて、なんかもうだめです。

直前に息を引き取ったヤマシロ(ナイトメア)が、当たり前の幸せを望んで、結局叶えられなかったのを見せられてしまっているので……。

 いやでも多分、彼らにとってというか、加々美にとっての望みは悪夢の中でも、有賀という存在が彼の中にある限り叶ってしまうので、望んだ幸せはあるのだとは思うけどでもでもだって。

無限ループです。

見れば見るほど、悲しい気持ちになってしまう幻夜……。なに……。ほんと……。

ヤマシロを撃つとき目を逸らしてしまうような、人として、何の違和感もない普通の反応をするんですよね、特別殺人権を行使して大統領をも暗殺したスパイであるはずの加々美は。でもそんな彼も既に、今しがた殺したばかりのナイトメアと同じところに堕ちていて、これからもその道を征くと決めてしまっている希望のなさに泣いてしまうし、そんな悪夢ですら有賀と一緒ならと笑って「醒めないでほしい」と願ってしまう彼が、わたしはかなしい……。

そんな生き方をしていくんですね、と思うと心から寂しく思ってしまう。

加々美の死を恐れていた鑑賞前よりも、もっとなんか、遣る瀬無い気持ちがずっとあって、幻夜を観るたびに落ち込んでしまうんですよね……。勘弁して……。

たまにでいいから、二人の無事を教えてほしいなって思いました。お願いします……。

 

 

 

問いかけるサリュートのはなし

わたし、サリュートって結構寡黙というのか、必要なこと意外は無駄口はきかないし、割と自分の中で消化して行動する男だと思ってたんですよね。

特に悠久からは、有賀との戦闘を楽しんでた彼が少しだけ遠ざかった気もしていました。

そんな彼なんですけど、今回はなんだか雄弁です。

といっても、自分の思考を語るとか、意見するというのではなく、どういうわけか必要以上に加々美につっかかってるように思えました。

中でも印象的なのが、

「罪の意識でも感じてるの?」

「善悪を判断できる立場にない」 

「君の信じる正義の旗のもと、何人が死んだ?」

 (若干記憶違いあるかもですが)この辺の台詞です。

更にサリュートは、アタッシュケースの部屋で加々美を「特別殺人権を持ったスパイ」と評します。

 これらそのものは、全部サリュートから加々美に向けたセリフでしかないんですけど、この台詞を加々美に突きつけた部屋は「罪を思い出す部屋」なんですよね。

すっげーやなかんじだなー!!!って思いました。

しかもなんでか、加々美単独の部屋ってないんだよなぁ、不思議。

加々美とサリュートの罪を思い出させる部屋か、サリュートが罪を告白する部屋しかないんですよね。なんでなの……。

そして、いずれの部屋でも動揺するのは加々美で、追及するのはサリュートなんですよね。

そしていざ、加々美と分かれて脱出直後、駆けつけた雛森と小暮に「加々美はもうここにはいない」って割と優しく教えてくれるし。(でも一応中を探しに行く、用心深い雛森好き)

さらにさらに、フォークス機関を「あんな悪魔の所業」と吐き捨てて、挙げ句にスークを前に「反旗」を掲げる宣言とか。

初めは、加々美にぶつけた言葉と比べて、スークと合流してからのサリュートの台詞はなんとも対照的だしブレブレな気がしてたんですけど、アレ全部自分へのブーメランというか、自問自答というか…。

自虐だったのかなぁって思うと、わたしは黄昏を越えられる気がしません。

ヤマシロが何者なのかを問いかけた相手は確かに加々美ですけど、加々美の素性を答えたのがサリュートというのも憎いし、「特別殺人権を持ったスパイ」というのも、それってサリュートのことでもあるよな、とすら勘ぐってしまう。

「公安」でも「日本のスパイ」でも何でもいいじゃん…。なんでわざわざその言葉を選ぶんだよって感じです。

わたしは黄昏を越えられる気がしません……。(2回目

 

というか今回、やたらと「特別殺人権」の話が出てくる気がするんですけど、それもなんだかなーという感じです。

権利とは能動的に行使するものであるというのも、「覚悟はしてたはずなんだけどなぁ」という加々美の独白を伴って、なんだかとっても生臭く感じてしまいました。

善悪を判断する立場にはないし、正義と信じるもののために戦うしかない彼らなんですけど、結局その銃口を突きつけて、引き金を引くのは、彼らの意思であると。そのことを改めて、重く考えさせられる場面でした。

 

あと余談なんですけど、幻夜ではスークがとても雄弁だなって思いました。

サリュートを探すことに真剣というか、相棒というほどでは無いのかもしれないけど、サリュートを一人の人間として受け止める下地ができている男だなと思ったので、なんとか黄昏を越えたいです……。たのむ、スーク……。

 

 

 

 

ナイトメアだった男のはなし

幻夜の感想を書く上で、やっぱり外せないのがヤマシロなんですよね……。

なんだろうあの人、とっってもしんどい。

 

「皆殺しが条件じゃないの?」というサリュートに、「 その男の心はもう死んだ」って自虐するヤマシロ……。いやしんどすぎる。遅効性の毒かよ。

園との関係性とか、どういう経緯で有賀を操って照日壊滅を手助けしたのかとか、まだ謎の残る男ではあったんですけど、ナイトメアという存在感は秀逸でした。

父に裏切られて弟に殺されそうになったときには「だが生きてた」って、さらっと流してる程度なのに、そんな男が死を望むほどの心の痛みに耐えながら、復讐を誓う傍らで照日の杜の計画を潰すために、復讐すべき男(加々美)に、一つの手段とはいえ形としては間違いなく「手助け」するのは如何程の心地なのかと……。
でも有賀を通して見た「加々美いつき」が復讐相手だったからこそ、加々美をただ殺すのではなく、娘の復讐と同じだけ望んだのかもしれない「自身の死」を託して、あんなゲームを企てたりしたんだろうかと思ったりしました。

そして、娘の死で取り戻した心の痛みこそが切っ掛けで、死を望むようになったのだろうなぁと思うと、とんでもなく切なくなってしまいます。

それまで、たとえ親に裏切られて弟に殺されかかっても死のうとは思わなかったんだもんなぁ。

しかも、唯一の幸せだった娘を殺されて、痛みを取り戻した心を抱えたまま、もう幸せになることが絶対にない、娘がいない世界で生き続けるには、気力もなかったのかもしれないなって。

もうなんか、彼はナイトメア(悪夢)を自称していますが、ただ娘を亡くして悲しみに暮れる男にしか見えない……。

せつない……。

そして切ないといえば、ヤマシロという男もまたメサイア作品特有の二律背反を背負っているのかもなぁって思いました。

「復讐する」、「死にたい」、っていうこの2つもそうなんだろうなぁって思うんですけど、もう一つは加々美に「復讐するか否か」というか……。

最初の部屋で自害しようとしたり、赤ちゃん人形の部屋でおそらくわざと返り討ちにあったり、割と離脱しようとする素振りがみえるというか。

特に一回目の自害未遂は、そのままのシナリオなら自害して離脱だったのではないかなぁと思いました。でも、加々美が引き止め、「仇をとってやる」と目を見て言うもんだから、躊躇したように見えたんですよね。しかもその時のヤマシロの目がなんともいえないんだなあ……。

そして、加々美とサリュートに続いて部屋を出るヤマシロの背中のシーンが大好きなんですよね、あのゆっくりと歩きだして、最後になにか決意したみたいに出ていくの。

初めて見た時には、ただ「巻き込まれた一般人」が「勇気を奮い立たせて、何者か分からない正体不明の男二人に着いていく」様に見えたんですけどね…。二回目からは違ったんだなって…。

とはいえ、加々美は「特等席」をそのまま間近で監視するみたいなこと言ってたんで、私の勝手な解釈ではあるんですけど。そういう予定ではなかったけど、加々美という男を間近で見極めようとしたのだろうか、それが最初の部屋でのイレギュラーだったのかなって思いました。そして迷ったまま、迷い尽くして身を削って、弾切れの最後まで立っていた男だったなぁ、と。そのあと、銃弾のでなくなった拳銃を投げ出して膝を折る姿は、「よくここまで一人できたな」と思えるほどの、なんだか込み上げるものがありました。

あと最初の部屋でいえば、「仇をとってやる」って復讐したい相手に言われる心地は、ほんとどんなもんなのかな……恐ろしいな……なんてシナリオなんだ……。こわ。

何はともあれ、ヤマシロさんにはルーシーと共に安らかに眠ってほしいです。(出てきてもいいけど)

「悪に手を染めた」人が幸せになんかなれないと小暮が言ってましたけど、ヤマシロの結末を思うと、完全悪ってなんだろうな、と考えてしまいますよね…。そして、それらはすべて、サクラの一人ひとりにも言えることだろうと思うので、たのむ勘弁して~とお手上げ状態です。

彼らが信じて行動する正義は、他人にとっての悪かもしれないというのを、ヤマシロという男を通してまざまざと見せつけられた気がしました。「娘はどうなる、俺の悲しみは」という慟哭は、ほんとにもうなんか…。めっちゃ泣いた…。なるほど、これが悪夢か…。

 

 

フィクションの境界

この幻夜って映画なんですけど、かつてないぐらい静かだなって思いました。物理的な印象として。

メサイアって、劇中で繰り広げられるアクションシーンもすごく魅力的で、どの舞台でも割とコンスタントにアクションシーンが入るじゃないですか。

それに比べて、幻夜って序盤と最後以外はあんまりアクションないんですよね。

ちょっと大きな音を出すシーンとしては、黒坂が拉致されるとことか、扉を開ける音とか、あとは加々美とヤマシロが揉み合うとことか?ぐらいじゃないかなって思います。

それが結構不思議だったんですよね。

 

そしてもう一つ、不思議というか、ちょこちょこ感じる違和感というか、幻夜でとても印象的だったのが、キャラクターたちの「人間臭さ」です。

いや、彼らもべつにエイリアンじゃないんだから当たり前なんですけど。

でも「特別殺人権を与えられて活動するスパイ」とか「北方組織で訓練されたスパイ」とか、それこそ「クローン」とか「人体実験の末に痛みを感じなくなった挙げ句に致命傷を負いながらも死ねなかった元暗殺者」とか、とんでもないフィクションの集合体じゃないですか、メサイア。

舞台は現代っぽいところだけど、よくよく考えるとぶっ飛んでるし、銃弾受けまくって「しなねーのかよ!」みたいなとこあるじゃないですか。

だからメサイアってやっぱりフィクションなんだよなぁって思うんですけど、なのに彼らの感情が垣間見えて、その感情は私達が日常的にも持ってるものだから物凄く共感できるんですよね…。

フィクションのなかに渦巻く感情が思いっきり現実感を伴ってぶつかってくるから、頭殴られたみたいな衝撃と激情みたいなものでいつも泣いちゃうというか。

そこがメサイアの魅力の一つだなあっていつも思っています。

そして幻夜もやっぱりそういうところがあって、例えばヤマシロの「娘を亡くして悲しい、復讐したい」って気持ちも、さもありなんって思うし、しんどいなぁって泣いてしまいます。

ただ、幻夜で観せられたもう一つのメサイアの魅力というのか。

なんか「おお…」って思ったのが皆の「人間臭さ」でした。

他作品だとギャグシーンとかで見えたりはするんですけど、幻夜はふとした時にすごくそれが多かった気がします。

例えば、

「Jeepで助手席に座るサリュート(加々美だけを後部座席へ置いてる)」
「最初の部屋を出る時、最後の部屋に入る時に、サリュートへ背中を見せる加々美」
「子供の人体実験画像を見て目を伏せる小暮」
「加々美の居場所を突き止めて、すぐに駆け出そうとした雛森」

などなど…。

一つ一つはほんのワンシーンで何気ないものなんですけど、バックグラウンドを知っていると納得しつつ、でもやっぱり「エージェント」らしくない人間臭さというか。

加々美とサリュートの間にある、信頼とはまた違う関係性とか、人が積み重ねてきたものだなぁって思うし、間違いなく悠久からの続きだなって思えました。

小暮も、冒頭の屋上で倒した敵を足蹴にしてたのと同一人物とは思えないぐらいだけど、彼の「僕」の部分が見えて凄い良かった。

雛森も、悠久だけなら一番に駆け出すなんて意外だなって思うだろうけど、月詠で「聞いてくれ」って園に向かって取り乱した彼ならそうするだろうと思えたし。

どれもこれも、彼らの経験が人間性にあらわれているシーンですごく良いなぁって思ったんですよね。

そして同じだけ、次作がしんどいなぁと思いました。

幻夜は静かなシーンが多くて、ドンパチが多い作品よりも現実味が強くてより一層の没入感があるというか、そういう彼らの人間臭いところが一際見えてしまった気がします。彼らがサクラやスパイと呼ばれるものである前に一人の人間だってことをより叩き込まれたって感じ…。

フィクションだけど、描いている感情は本物なんだよ、と突きつけるというか。

これもまた、ひっっっどいなぁ!!って思ったポイントでした。

 

 

あと雛森と小暮については今回ほんとめちゃくちゃいいな!!って思いました。

屋上で戦うシーンも、雛森が遠距離射撃する際に敵を散らす小暮とか、死角へ両サイドから追い詰めていって仕留めるコンビネーションとか。

それから、人体実験映像にフラッシュバックおこす小暮の背中をぽんぽんってする雛森とか。自分だったら切り捨てられるという小暮をなんとも言えず見送る雛森とか。

いや「良さ詰まりすぎやろ」ってめっちゃ思いました。

スークとサリュートもそうだったけど、この二人も今後がめちゃくちゃ楽しみです。どうか幸あれ~~~

 

 

 

 

 「良かった」けど「かなしい」メサイア

総括して、幻夜はほんと見た当初は「良かったな」ってそれだけを思った作品でした。舞台挨拶で井澤さんが「いろいろ考察とかもされると思うけど、極論、良かったなと思ってもらえる作品であれば嬉しい」みたいなことを仰ってて、まさにそれな〜と納得してたんですけど、この有様です。

確かによかった、めちゃくちゃ良かった。

有賀と加々美のメサイアが、一歩踏み込んだところで信頼関係を築いて、お互いを更に深いところで拠り所にできたのも良かった。

有賀が登場して、「お前と一緒なら」と立ち上がる加々美は最高にしびれた。めちゃくちゃ熱かった。

ヤマシロに撃たれた後、倒れ込んだ状態で有賀と揉み合うヤマシロに一発食らわせる加々美も最高だったし、有賀とヤマシロの両者が加々美に目を向けて、咄嗟にトドメをさしに行こうとするヤマシロへ先に意識を戻して食らいつく有賀もめちゃくちゃ良かった。

あそこで一切、二人が会話を交わさないのが何よりも良かった。

 

良かったけど、同時にすっごい悲しいなぁ。

遣る瀬無い。

二人に幸せがありますように、と軽率に思えないほどに、メサイア同士で相互に完結しあっているので、なんだかなぁとも思ってしまいました。

 

 

 

 

「あながたいるから夜も眠れる」

タイトルにも設定したこのセリフなんですけど。 

これから「ミッション・インポッシブル フォールアウト」を観る人は飛ばしてくださいね、ネタバレなので。

 

 

このセリフは、前述のミッション・インポッシブル フォールアウトのラストシーンに出てくるセリフです。

幻夜を見ていて、私はどうにも毎回このセリフを思い出してしまいます。

このセリフは、映画のラストシーンで、主人公であるイーサンの元奥さんが彼に言うセリフです。

この映画では、これまでのヒーロー然としていた彼の苦悩も描かれます。

元奥さんとは、イーサンが自身の危険に巻き込まないために別れていて、彼女を危険に晒したことを別れたあとも悔やみ続けている彼。

もはや伝説級のエージェントである彼も、やはり人間で、その強さも諸刃のものであると劇中で描かれる一方、やっぱり今回も飛び抜けた能力で任務を完遂して多くの命を救います。

もちろん称賛こそされて然るべきなんですが、ボロボロの状態で運ばれた救急ベッドの上で、元奥さんとまみえたイーサンは開口一番にただ謝るんですね。

そんなイーサンに元奥さんが伝えるのが、前述のセリフです。

 

「あなたが救った。あなたがいるから、夜も眠れる」

 

このセリフに、イーサンは子供みたいにホッとしたように笑います。

それがとても印象深いんですけど、まさにこのセリフこそ、幻夜を見終えて、良かったなと思う半面、悲しすぎるとも思う私が何より「加々美いつき」に伝えたいなと思うセリフでもありました。

加々美が南トランの大統領を暗殺したおかげで、ヤマシロの娘を含めた子供たちは亡くなってしまったんですけど、同時に救われた命もたくさんあるはずなんですよね。
そんな二律背反を背負って「できることは少ない」って有賀と認識し合いながらも、できることをやるだけと、普通の人にはできないことを生業にするサクラの生き様が突き刺さる今回の映画 メサイア-幻夜乃刻-。

それを見終えた今、「あなたのおかげで、夜も眠れる」と、加々美のおかげでもう来なかったかもしれない夜を迎えられた人もきっといるんだと、なんかそんなことを伝えたいな、と。

そんなことを思ったりしました。

 

 

映画 メサイア-幻夜乃刻-は、なんというか、衝撃的というよりは、少しずつ違和感を積み重ねた末に異様な光景を見せつけるみたいな、なんともいえず恐ろしい作品だなと思います。

そしてやっぱり、そういう当たり前が当たり前じゃないかもしれない、という現実と非現実の隙間をみせつけてくる、稀有で魅力的な作品だなとも改めて思いました。

次作には「メサイアトワイライト 黄昏の荒野」も控えており、こちらもとっても楽しみですが、同時に怖いな〜〜とも思ってしまいます。

まぁ行くんですけど。楽しみです……チケットはまだ購入できるみたいなので、
まだの人は是非……。

messiah-project.com

 

 

そしてこの記事を書いているうちにすっかり日付も変わってGYAOでは配信も始まったったようです!GYAOくんありがとう!
私も早速幻夜を見直そうかなと思います。

刻シリーズ一挙に配信してるとのことなので是非〜〜〜

 

刻シリーズあたりの布教記事はこちら

 

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ちなみにこの幻夜乃刻は、大阪だとまだまだ公開中です。

12月1日〜7日@シネ・ヌーヴォ

http://www.cinenouveau.com/index.html

 

1月12日〜?@シネ・ヌーヴォ

http://www.cinenouveau.com/index.html

 

 

 

そんな、幻夜感想でした。

それではまた。