いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

東へ向かって夕暮れを帰る

 

お正月をあけて、1月6日に新居へ引っ越したのが去年のこと。

今の部屋で過ごしてようやく1年なのか、まだ1年なのか、どうにもまごついた感慨の中にいる。

 

そんななかでふと思い出したのが、今の部屋へ移る前に住んでいた部屋のこと。

そこでは6~7年ほどを過ごした。

住心地もよく、周辺の環境も落ち着いていて、特に仕事場との位置取りが好きだった。

 

その部屋は、仕事場からちょうど真東の位置にあり、わたしは朝には自転車で朝日を背に受けながら西へ向かい、夕方にもまた同じようにして東へ帰るという日々を過ごしていた。

この背中に太陽を浴びるというのが、なかなか気持ち良い。

朝の「よし、これから仕事だぞ」という時に背中へ浴びる太陽の光というのは、別に私のためだけのものではないのだが、ちょっとした特別感を与えてくれる。

そうした往路だけでも好きになるには十分なのだけど、一番お気に入りだったのは夏の夕暮れの帰り道だ。

 

夏の17時~18時ごろ、まだ西日が暑い時間に東を向いて歩いていると「お!」と思うような、でっかい雲を見つけることがある。

そういう雲を見つけると、私は振り返って西日を確認し、それからまた東の空を探し始める。

すると、結構な確率で虹を見ることができるのだ。

この夏特有のけぶるような湿気の中で、雲が夕焼けに色づいて、青とオレンジの混じった空に鮮やかな円弧のかかる風景が、私は特に好きだった。

それも、これから家に帰るというタイミングで見るなら格別だ。

普段はスマホばかりで痛めている首を、飽きもせず虹の消えきるまで見上げさせたことも少なくない。

 

そういう特別を思い出して、

「あーそういえば、まだ今の部屋との行き来に、そんな特別ってないなあ」

なんて思い至った。

 

それなら、まだまだこれからっぽい。

1年お疲れさま、契約更新したので、これからよろしくおねがいします。

 

犬に名前をつけた日、のあと

2021年12月の初めごろ、その犬と出会った。

性別は女の子。犬種はミックスで、シーズーとダックスが色濃くて、けれど一見しては何犬なのかよくわからない。

そんな子に、とても惹かれた。同行してくれた友達は、私の様子を隣で見ていて、絶対にこの子にするんだろうなと思ったらしい。

その出会いからおよそ1ヶ月後、私は彼女に名前をつけた。

 

彼女と暮らすようになって、最初の一週間ぐらいは、あちこちで彼女の名前を書いたり言ったりした。

名前はエル。

フランス語で「Elle」と書いて、彼女(She)という意味だ。いわば三人称なんだけれど、それを名前にすることで、The girl的な意図もある。こじつけだけど、Premiere(プルミエール)のエールにも掛けている。

そんな、彼女だけの名前を管理会社への提出書類や、役所への書類、譲渡関連書類やペット保険、かかりつけの動物病院の問診票など、あれこれ、あちこちで書いて書いて、同じく口頭でも「エルです」「エルっていいます」「Elleのエルです」等々、言いまくった。

そして、外に向けて言うより、ずっとたくさん彼女に呼びかけた。

「エル!」

「エル~ごはんやで~」

「エル?なにしてんの?」

「すごいなー、エル!」

私が彼女の名前をエルと決めたので、だから私はエルと呼んだ。

 

けれど、私が彼女を「エル」と呼んだからといって、彼女はすぐに振り返るようなことはしなかった。

当たり前すぎる。

彼女の名前がエルであると認識しているのは私だけで、きっと彼女にとっては「はい?なにか言った?」ぐらいの感じだっただろう。

その頃、彼女にとって「エル」とはあまり特別な単語ではなかったのだ。

 

そして、実を言うと私にとっても、「エル」という名前はまだ馴染んでいなかった。

正直なところ、彼女との距離をはかりかねていた。

というか、彼女の身の回りのことで精一杯だったのもあるかもしれない。

食事の量は? うんちの回数は? トイレはここでいい? 暑い? 寒い? このクッションはいや? 寝るのはここでいい? 散歩はどれぐらい? もう少し歩く? それとも疲れた? このオモチャは遊ばないんだ? このおやつ好き?

一つ一つ、試行錯誤しながら「彼女にとっての適当」を探って、膨大なリストにクリアのチェックを入れていく。

とにかく自分ができることは全部やる。

そんな気負いとともに、私は「エル、エル」と呼んでいたのだと思う。

 

彼女と暮らし始めてから、およそ、三週間ぐらいした頃だろうか。

彼女も寝る場所が決まって、トイレの失敗もなくなって、散歩の時間も、好きなオモチャも決まってきたぐらい。

ふと気づくと、彼女がジッと私を観察している時間が増えてきた。

私が用事をしているとき、あるいは、なにか彼女へコマンドを出す前後。この人間は何をするんだろう。そんなふうにジッと見上げてくる。

そして、ある程度ルーチン化している行動の前後には、一つ吠えてみたり、ちょっと後退してみたり、逆に手を舐めてみたり、いつもと違う行動を取ってから、やはりジッと私を見上げてくる。こうしたら、この人間どうするんだろう。

そんな彼女の様子を見ていて、私は不意に思い至った。

 

「そうか、これコミュニケーションだ」

 

私が精一杯ながら、彼女に「エル、これはどう?」「エル、これならいい?」と尋ねてコミュニケーションを図っていたのと同じように、彼女も自分と違う人間である私のことを理解しようとしてくれている。

それも当たり前で、私が彼女を理解するよりも、彼女が私を理解するほうが大変に決まっている。彼女には、私みたいに相談できる相手もいないし、漁れる資料もない。

それでも理解しようとしてくれている。

そう気づいたとき、気負いは一気になくなった。

なんかこう、「一人じゃないのか、心強ぇな」という強気が溢れた。

それからだと思う。

エル、と呼ぶのがとても自然になった。

 

そして今は同じ空間に暮らす一人と一匹。

自然体で彼女を構えるようになった私に、彼女がリラックスしてお腹を見せる風景が当たり前になってきた。

「エル」と呼べば振り向いてくれて、最近では大好きなご飯中でも私を優先してくれたりもする。

恐らくは、彼女の群れの一員としての地位を確保できたのだと思う。

ある時、私が作った靴擦れの傷を彼女がケアしようとしてくれたので、それには割と自信がある。

 

なんかすごいな、ありがとう。

そんなことを毎日思っている。

 

これからも、彼女との暮らしは長く続く。

「エル」と呼んで見上げてくる彼女の、まるい目の中で誇らしく有りたい。

 

 

 

 

声を忘れない日があった

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乗るはずだった飛行機が大幅に遅延していた。

 

日本への帰国にあたり、乗り換えで立ち寄ったイタリアの空港。

多くの人でごったかえし、私が乗るはずだった飛行機は3時間遅れが更にのびて5時間遅れになっていた。

 

ひとり旅は十分すぎるほど楽しかった。

でも、「あとは飛行機に乗れば自宅へ帰り着ける」という状態から突如放り出されて感じる疲労はひとしおだった。

 

遅れているものは仕方ない。

それでも正直「勘弁してよ」というのが率直な気持ちだった。

 

同じように案内板を見上げる人たちが、これから帰る人なのか、行く人なのかは分からない。

それでも、みんな同じくどこか疲れたような顔をしていた。

 

とりあえず、少なくとも5時間は何もすることがない。

そのうえ、このあと更に遅延するのか、しないのか、その判断タイミングもわからなかった。

 

幸いにも航空会社からは食事のクーポン券が配られたので、飲み物とサンドイッチを手に入れた私は、とりあえず滑走路の見えるベンチに落ち着いた。

 

日本語のないアナウンスが引っ切り無しに流れるなか、いろんな言葉が飛び交う異国のサテライト内。

「あー、今のはドイツ語かなぁ」と分かるものもあれば、さっぱりどこの言語か分からないものまで。

音楽プレーヤーも充電切れだった私は、そんな「音」をBGMに、ぼうっと飛行機の飛ばない滑走路を眺めて、まさしく暇を潰していた。

 

それから、1時間か2時間経ったころ。

不意に意味の取れる言葉がたくさん聞こえてきた。日本語だ。それも、私がこれから帰る関西地方の方言だった。

ひとり旅でしばらくの間、日本語、しかも関西弁を聞く機会から離れていた私は思わず、声の聞こえてくる方へ顔を向けていた。すると、そこには日本人の団体客がワイワイ集まり、どうやらツアー内での点呼を取っているようだった。

なるほど、私と同じ飛行機に乗る予定の人たちらしい。

ということは、彼らも私と同じくあと数時間は立ち往生の仲間というわけだ。

まったく知らないひとたちだけど、そのことを何となく心強く思っていると、ふと、言葉以上に印象的な言葉が耳に届いた。

 

言葉というより、それは声だった。

 

「あれ?」と思ってその声の主を探してみれば、ツアー客の中に混じった一人の女性に目が留まった。

見覚えがある。

でも、誰だっけ?

思い巡らせて、彼女がツアー客に手渡している航空会社の食事クーポンに気付いてしまえば、すぐに記憶は蘇った。

 

彼女はツアーの添乗員だった。

そして、私が初めて一人で参加した海外旅行ツアーの添乗員をしてくれた人だった。

すでに5年か6年前のことだったけれど、他の人が二人以上で参加するなか、一人で参加していた私を丁度よい距離感でアテンドしてくれた彼女のことはとても色濃く記憶に残っていた。

特に、テキパキと必要なことを必要なだけ提供してくれるあの声は、混み合う空港内でも「そうそう、あの人だよ」とまさしくそのものだった。

 

私の見ている中で、ツアー客らはクーポン券を手にバラけていき、数人が彼女に声をけ、彼女が応答して、その数人もどこかへ移動したのか、その場には彼女一人になった。

 

そして、ふと振り返った彼女と目があったのだ。

 

「あれ、」

 

驚いたことに、目のあった彼女は私の名前を間違いなく呼んだ。

数年前に1週間だけ同じ旅をしただけの相手だ。

人は声から忘れていくというが、私は彼女の声を覚えていて、彼女は数多いるツアー客の一人でしかない私を覚えていてくれた。

互いに、不思議な縁だね、と驚いて、何となく孤立した遅延続きのサテライト内で、それからしばらく話をした。

昨日までどんな旅をしていたとか、これからどんな国にいくとか。

飛行機は結局、更に3時間遅延して、その間も彼女が仕事をしている時間以外にはいろいろな話をすることができた。

 

そして、ようやく飛行機の準備が整い、私と彼女はそこでわかれた。

 

「じゃあまたね」

「はい、またどこかで」

 

いろいろな話をしたけれど、私も彼女も、連絡先を交換するようなことはしなかった。

ただ二人で互いに「またどこかで会えるかもね」という言葉だけを交わしあった。

 

彼女が、またどこかの国で出会えたときにも、まだ私のことを覚えていてくれるかは分からない。

それでも私はまた今度も、彼女のハキハキと話す声につられて目を向けるのだろうと思う。

 

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

鼓動に思い知らされる-Free!感想

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ドキドキした。

 

まさしくその一言に尽きる作品が、アニメ『Free!』だった。

 

 本来であれば、東京オリンピックに沸いていただろう7月の四連休に、私はこの作品の一期と二期を初めて鑑賞した。

『競泳を通して描かれる、高校生らの青春』の物語。

無味無臭の紹介をするなら、『Free!』はそういう作品だ。間違いではないし、確認したわけではないが、そう紹介されていることも多いんじゃ無いかと思う。

実際、放映から7年が経った先日まで、私は『Free!』という作品を「それだけの」アニメだと思っていた。

 

思春期の機微を、競技を通じて描いているんだろうな。

涙あり、笑いありの感動ストーリーなんだろうな。

 

いや、間違いではない。

わかる、それはそう。それはほんと、そうなんだよ。

Free!』というアニメには間違いなく思春期の機微が綿密に描かれているし、競泳を通して展開するストーリーは観ている側の心をも熱くする。涙もあるし、笑いもあるし、それはもう過言の一つなく感動のストーリーに違いない。

 

けれどもどういうわけか、こうして平易なテキストに落とし込んだとき、『Free!』の魅力はグンと伝わりづらくなる。何故だ、あんなにも感動した思いが一ミリだって伝わりそうにない。
ここまでのテキストだって、実のところ10回以上は書き直している。

全消しに次ぐ全消しだ。

もう書くのはやめて、腹の中に渦巻く『Free!』への記憶を抱えて自家中毒でも起こしながら眠ってしまおうか。

そう不貞腐れるぐらいには書き直した。

 

例えば、各エピソードへの思いの丈をぶつければいいのだろうか。あるいは、こういう伏線が最終的にこうなったことに感銘を受けたと記せばいいのか。それとも、私の解釈を羅列して、それがいかに素晴らしいく思えたかという講釈に陶酔するか?

 

いずれも『Free!』には相応しくない。

 

なぜか?

Free!』というアニメは、「体験」だからかもしれない。

私はこのテキストを書くにあたって、自分の中にある言葉の限りを尽くして『Free!』にふさわしい言葉を探しあぐねた。

青春、勝者と敗者、憧れ、嫉妬、等身大、成長。

その他にもネタバレになりそうな単語が山程浮かんでは消えていって、結局、残ったのはたった一言の感想でしかなかった。

 

ドキドキした。

 

どの場面でも、どの瞬間にも、いろいろな感情や思考が自分の中で揺り動かされて、体中を駆け巡って、そうして浮かんで溶けていった。

その繰り返しが延々と続き、最後に残ったのは、「すごいものを観た」という唖然とした心地だ。同時に、指先にまで残る震えがドクドクと心臓に連動した脈拍を伝えていた。

 

恐らく、『Free!』というアニメを観て、まったく同じ感想を抱く人はいないんじゃないかと思う。それは、あまりに深く、繊細に、画面の隅々にまで至る思惑が、「私個人」の経験や思い出を刺激するからだ。

たとえば、競泳シーンなどは狂気的なほど、あらゆる場所に登場人物らの感情が滲む。

掻き分ける水の動きや跳ねる水しぶき、息遣い、表情、音のすべて。

羅列するとただの情報に過ぎないそれらが、1秒ごとに凄まじい勢いで何かを伝え、私たちはそれらに息を呑む。

まったく、「その場面」に「そのキャラクターが抱いている感情や思考」を表すにふさわしい単語が見当たらないのはそういうわけだ。そして、それらに想起される視聴者の感情や思考も計り知れない。

少なくとも私が抱いた感想と、元競泳選手だった友人の感想はその瞬間すら食い違った。けれども、いずれも「わかるわ〜」と互いに思えるものであるのも、このアニメの不思議なところで、まさしく特徴の一つなのだろう。

その深度を推し量ることは、とてもではないが不可能だ。

けれどもどこまで深くのめり込んだところで、しっかりと受け止め切ってくれるのだろうという懐の深さがあるのは間違いない。

 

まるで海のようだとも思う。 

 

そう喩えて思い浮かぶすべてが、おそらくは誰しも違うように、『Free!』というアニメは誰にとっても違う体験となる。

ただ、一つだけ同じだろうと思うことがある。

 

ドキドキする。

 

それはもう、とてつもなく。

びっくりするぐらい、ドキドキする。これもまた、いろんな意味で。

そしてきっと、その鼓動に思い知らされる。

 

「すごいアニメを観てしまった」

 

ぜひ、アニメ『Free!』を観てほしい。

過去の自分に出会ったら、私はそう言うだろう。

 

dアニメストア▼
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/ci_pc?workId=11297 

Netflix
https://www.netflix.com/jp/title/80186018

2020.08.02現在配信中 

 

その夕暮れを思い出したい

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たとえば、夕暮れというものは割とどこで見ても美しい。

仕事からの帰り道、友達と部活終わりに立ち寄るコンビニの前、疲れ果てて窓から見た先、あるいは、旅先で見たそれ。

他にも、水はどこでのんでも水の味がするし、スタバのコーヒーはどこで飲んでも似たような味がする。美味しい。

結局、「やろうと思えば、近場でもできる」というのが、日本においてはまぁまぁ浸透した感覚なんじゃないかと思う。

 

それなのに、私は海外へ旅行したい。

 

ビーチでのんびり波の音を聞いて寝そべりたい。

美味い飯を食らってビールを飲んで、たまに訳の分からんメニューを頼んで失敗したい。

世界ふしぎ発見で見た絶景を自分の目で見たい。

絶景へ辿り着くまでに迷った時間の方が長かったせいでクタクタになった足を労りスプリングの効きすぎたホテルのベッドで眠りにつきたい。

 

 

たぶんこれだって、日本でだってできるだろう。
そりゃそうだ、日本にもビーチはあるし、美味い飯もまずい飯もあるし、絶景だって山ほどある。ちなみに富士山はすごかった。

それでもやっぱり、海外へいきたい。

 

そもそも、私が海外旅行をするようになったきっかけは、19歳の時に読んだブログだった。

 

その頃、私は半ばフリーターのようなもので、友人らが大学生活を満喫するなか、美容部員のようなものをしつつ小銭を稼ぎ、残りの時間はオタク趣味に費やしていた。

まぁぶっちゃけて、みんな新生活が忙しくなかなか遊んで貰えなかったので、まぁまぁお金もあって、暇もあった。

そんな時にいつものように巡回していたウェブサイトの管理人が、旅行記ブログをサイトとは別に運営していることを知った。

「へぇ~」と思ってクリックした先、まず目に飛び込んできた内容が衝撃だった。

 

同年代の女性
極度の人見知り
単身での海外旅行
英語力はほぼなし(その他外国語も同じく

 

え、ほんとに???というのが正直な感想だった。

まだバックパッカーとか、そういう女性がたくさんいることを知らなかったし、海外旅行なんてハードルバリタカのイメージしかなかったし、それこそ、ふしぎ発見ミステリーハンター?しかもスタッフ同行なし?ぐらいの衝撃だった。

その頃はまだツイッターもなく、ようやくフェイスブックが出てきたかな?あとはミクシー?ぐらいの時代でもあって、受動的でいる分にはなかなか情報も入りにくい頃だった。

だからこそ観測範囲に女性一人で海外、しかも英語力もさほどナシ、なんて人が居なかった私には相当なショックだった。

ただ、同時に強い興味もわいた。

年齢も同じぐらい、行くとしたら単身なのも同じ、英語力も似たようなもの。なにより海外への興味もある。

 

もしかして、私も行けるのか?

 

そう思いついたら止まらず、とにかく彼女のブログを読みあさった。

そして彼女のブログを読み終えた後には、似たように女性一人で海外へ出かけている方たちの旅行記ブログを読みあさった。

 

そこに綴られていたのは、旅人たちの宝物みたいな記憶だった。

 

ハワイで天体観測をした。
オーストラリアでエアーズロックを見た。
香港で美味しい飲茶を食べた。
イタリアで美術館三昧だった。
パリの街角で焼きたてのパンを食べてカフェオレを飲んだ。

 

もう、羨ましさが天をついた。

断っておくが、妬ましさではない。

ただただ、わたしもそれやりたい!という純粋な羨ましさが溢れかえった。こんなのいつ以来だ? 小学生の頃、鬼のように流行ったローラーブレードを買ってくれと親にせがんだ時以来じゃないか?(お小遣いためて買いました)

それから意識的にお金を貯めて、初めて一人でパリに行った。

19歳の11月だ。

英語もろくにしゃべれない、フランス語なんて挨拶を必死に覚えた程度。

しかも贅沢の仕方もよく知らない小娘の旅行で、今思えば、現地の方たちには途轍もなく愛想良くしてもらったのだなと分かる。

そんな旅行だったけど、忘れ得ぬほど楽しかった。

 

石畳を歩き続けると、めちゃくちゃ足が痛いことを知った。
11月のフランスは、すんごい日の出が遅かった。
日本で食べるよりフランスパンは固いし、クロワッサンは死ぬほど美味しかった。
マロニエの並木ってこれなのか、と落ち葉を踏んで歩いたし、心臓をこれでもかってぐらいバクバクさせながら郵便局で切手を買った。初めてのエアメールは母と自分宛に出した。
それからテレビで何度も見たことのあるルーヴル美術館に行って、中世絵画の部屋に入った途端に泣いた。石造りの、数え切れない人の足に踏まれて削られた階段を登り、薄暗い廊下から入ったそこは、目を瞬かせる明るさで、外より少し湿度が高く、びっくりするぐらい天井の高い部屋いっぱいに油絵の匂いを溢れかえらせていた。

もうすーーっごいビックリした。

当時の私はメデューズ号の筏がどういった背景で描かれたのかも知らないし、ナポレオンの戴冠式だって、それがナポレオンだと認識すらしていなかった。

けれども、その瞬間うけた衝撃と感動は、いつまでたっても心に残っている。なんで泣いたのかなんて分からない。だけど、とにかく心が揺れた。

 

それからというもの、私は海外旅行が大好きになった。

 

理由は、まだ上手く言語化してオシャベリすることができないでいる。それはちょっと悔しいなと思うのだけど、それでも私はわざわざ海外に行くのが好きになった。

疲れるし遠いしまぁまぁ高いし、日本でもある程度のことは出来るし、今時は現地に行かずともインターネットで情報は手に入る。

それでも、海外へ行くという選択をしてしまう。

 

なんでだろう、分からないけど好きなのだ。

たとえば、かつてワクワクしながら読んだブログ主たちもそうじゃないかと思っている。

あそこには、彼女たちの好きが山ほど詰まっていた。

豪遊しているわけでもなく、ユースホステルを転々としている女性なんかもいたし、金銭感覚は私も似たようなものだと思えた。お金を貯めては旅をする。そんな人たちの行動原理は、文字に綴られずとも、匂い立っていた。

 

旅行が好きなんだなぁ。

 

素直にそう思えるテキストは、とにかく何より魅力的だった。

そして実際、とんでもなく魅了されてしまった。

 

なんかもう楽しい。とにかく楽しい。

酷い目にも遭ったことはあるけど、何から何まで楽しい記憶の箱にぶち込まれている。

 

たとえばフィンランドへ行ったとき。

18時頃の片田舎の無人駅で5分ほど放置されたことがある。3月の半ばといえど、雪深く、外灯の一つもついていない。まさしく真っ暗闇の雑木林のただ中で、たった5分といえど死を覚悟した恐怖はなかなかだった。

だというのに、数日後に見たオーロラに感動しすぎて、その時の恐怖はほとんど思い出すことが出来ない。あんな泣きそうだったのに。(泣くと凍るので泣かなかった)

 

あるいはハワイ島へ行ったとき。

ホテルの部屋でハエが大量発生していて発狂しかけたが、夜に見た天の川が綺麗過ぎて何もかもどうでもよくなった。
あの夜、途中で数えるのを諦めたほどの流れ星は、流星群でもないのに圧巻だった。

 

他にもまだまだ、山ほどある。

良い経験も、悪い経験も、どれもこれも海外旅行ってフォルダに入れば、どういうわけか良かった思い出になってしまう。

不思議なものだけど、好きだから、そういうもんなんだろう。

それに、そのどれもこれも、私が今際の際に立ったときには何か小洒落たBGMをつけて走馬灯で流れてくるに違いない。「あ、この夕暮れはアレだよアレ、20xxに行った時にぼーっとやることなくてビーチで眺めてた夕焼けだよ、あれ人生で一番綺麗だったなぁ」なんて思い馳せながら死ねたらまさしく上々だ。

日常の強い記憶の合間にそんなの流れてきたら、温度差で生き返るかも知れないけど。

いやそもそも、走馬灯がリクエスト制かどうかも知らんけども。

そうだったらいいな、と思う程度にはやっぱり特別好きな海外旅行で得た記憶なので、是非とも願いを聞き入れて、例えばオカンとゲラゲラ笑い合ってる記憶の次ぐらいには流して欲しいものだ。

 

そしてどうか、私の走馬灯リストを更新するためにも、また早く海外旅行ができる世界に戻って欲しい。

それこそ、山とある課題をクリアせねばなるまい、なんてことは重々承知しているけれども。何のチカラもない私には欲望を願いながら、数少ないできること、手洗い・うがい・ソーシャルディスタンスを遵守する程度しかできないので。

 

あ~~~はやく海外旅行したい~~!

一日でも早く、また海外旅行が自由にできる世界になりますように!(制限付きでも良いから!)そのためにも、惜しまず出来ることは頑張ります。