たとえば、夕暮れというものは割とどこで見ても美しい。
仕事からの帰り道、友達と部活終わりに立ち寄るコンビニの前、疲れ果てて窓から見た先、あるいは、旅先で見たそれ。
他にも、水はどこでのんでも水の味がするし、スタバのコーヒーはどこで飲んでも似たような味がする。美味しい。
結局、「やろうと思えば、近場でもできる」というのが、日本においてはまぁまぁ浸透した感覚なんじゃないかと思う。
それなのに、私は海外へ旅行したい。
ビーチでのんびり波の音を聞いて寝そべりたい。
美味い飯を食らってビールを飲んで、たまに訳の分からんメニューを頼んで失敗したい。
世界ふしぎ発見で見た絶景を自分の目で見たい。
絶景へ辿り着くまでに迷った時間の方が長かったせいでクタクタになった足を労りスプリングの効きすぎたホテルのベッドで眠りにつきたい。
たぶんこれだって、日本でだってできるだろう。
そりゃそうだ、日本にもビーチはあるし、美味い飯もまずい飯もあるし、絶景だって山ほどある。ちなみに富士山はすごかった。
それでもやっぱり、海外へいきたい。
そもそも、私が海外旅行をするようになったきっかけは、19歳の時に読んだブログだった。
その頃、私は半ばフリーターのようなもので、友人らが大学生活を満喫するなか、美容部員のようなものをしつつ小銭を稼ぎ、残りの時間はオタク趣味に費やしていた。
まぁぶっちゃけて、みんな新生活が忙しくなかなか遊んで貰えなかったので、まぁまぁお金もあって、暇もあった。
そんな時にいつものように巡回していたウェブサイトの管理人が、旅行記ブログをサイトとは別に運営していることを知った。
「へぇ~」と思ってクリックした先、まず目に飛び込んできた内容が衝撃だった。
同年代の女性
極度の人見知り
単身での海外旅行
英語力はほぼなし(その他外国語も同じく
え、ほんとに???というのが正直な感想だった。
まだバックパッカーとか、そういう女性がたくさんいることを知らなかったし、海外旅行なんてハードルバリタカのイメージしかなかったし、それこそ、ふしぎ発見のミステリーハンター?しかもスタッフ同行なし?ぐらいの衝撃だった。
その頃はまだツイッターもなく、ようやくフェイスブックが出てきたかな?あとはミクシー?ぐらいの時代でもあって、受動的でいる分にはなかなか情報も入りにくい頃だった。
だからこそ観測範囲に女性一人で海外、しかも英語力もさほどナシ、なんて人が居なかった私には相当なショックだった。
ただ、同時に強い興味もわいた。
年齢も同じぐらい、行くとしたら単身なのも同じ、英語力も似たようなもの。なにより海外への興味もある。
もしかして、私も行けるのか?
そう思いついたら止まらず、とにかく彼女のブログを読みあさった。
そして彼女のブログを読み終えた後には、似たように女性一人で海外へ出かけている方たちの旅行記ブログを読みあさった。
そこに綴られていたのは、旅人たちの宝物みたいな記憶だった。
ハワイで天体観測をした。
オーストラリアでエアーズロックを見た。
香港で美味しい飲茶を食べた。
イタリアで美術館三昧だった。
パリの街角で焼きたてのパンを食べてカフェオレを飲んだ。
もう、羨ましさが天をついた。
断っておくが、妬ましさではない。
ただただ、わたしもそれやりたい!という純粋な羨ましさが溢れかえった。こんなのいつ以来だ? 小学生の頃、鬼のように流行ったローラーブレードを買ってくれと親にせがんだ時以来じゃないか?(お小遣いためて買いました)
それから意識的にお金を貯めて、初めて一人でパリに行った。
19歳の11月だ。
英語もろくにしゃべれない、フランス語なんて挨拶を必死に覚えた程度。
しかも贅沢の仕方もよく知らない小娘の旅行で、今思えば、現地の方たちには途轍もなく愛想良くしてもらったのだなと分かる。
そんな旅行だったけど、忘れ得ぬほど楽しかった。
石畳を歩き続けると、めちゃくちゃ足が痛いことを知った。
11月のフランスは、すんごい日の出が遅かった。
日本で食べるよりフランスパンは固いし、クロワッサンは死ぬほど美味しかった。
マロニエの並木ってこれなのか、と落ち葉を踏んで歩いたし、心臓をこれでもかってぐらいバクバクさせながら郵便局で切手を買った。初めてのエアメールは母と自分宛に出した。
それからテレビで何度も見たことのあるルーヴル美術館に行って、中世絵画の部屋に入った途端に泣いた。石造りの、数え切れない人の足に踏まれて削られた階段を登り、薄暗い廊下から入ったそこは、目を瞬かせる明るさで、外より少し湿度が高く、びっくりするぐらい天井の高い部屋いっぱいに油絵の匂いを溢れかえらせていた。
もうすーーっごいビックリした。
当時の私はメデューズ号の筏がどういった背景で描かれたのかも知らないし、ナポレオンの戴冠式だって、それがナポレオンだと認識すらしていなかった。
けれども、その瞬間うけた衝撃と感動は、いつまでたっても心に残っている。なんで泣いたのかなんて分からない。だけど、とにかく心が揺れた。
それからというもの、私は海外旅行が大好きになった。
理由は、まだ上手く言語化してオシャベリすることができないでいる。それはちょっと悔しいなと思うのだけど、それでも私はわざわざ海外に行くのが好きになった。
疲れるし遠いしまぁまぁ高いし、日本でもある程度のことは出来るし、今時は現地に行かずともインターネットで情報は手に入る。
それでも、海外へ行くという選択をしてしまう。
なんでだろう、分からないけど好きなのだ。
たとえば、かつてワクワクしながら読んだブログ主たちもそうじゃないかと思っている。
あそこには、彼女たちの好きが山ほど詰まっていた。
豪遊しているわけでもなく、ユースホステルを転々としている女性なんかもいたし、金銭感覚は私も似たようなものだと思えた。お金を貯めては旅をする。そんな人たちの行動原理は、文字に綴られずとも、匂い立っていた。
旅行が好きなんだなぁ。
素直にそう思えるテキストは、とにかく何より魅力的だった。
そして実際、とんでもなく魅了されてしまった。
なんかもう楽しい。とにかく楽しい。
酷い目にも遭ったことはあるけど、何から何まで楽しい記憶の箱にぶち込まれている。
たとえばフィンランドへ行ったとき。
18時頃の片田舎の無人駅で5分ほど放置されたことがある。3月の半ばといえど、雪深く、外灯の一つもついていない。まさしく真っ暗闇の雑木林のただ中で、たった5分といえど死を覚悟した恐怖はなかなかだった。
だというのに、数日後に見たオーロラに感動しすぎて、その時の恐怖はほとんど思い出すことが出来ない。あんな泣きそうだったのに。(泣くと凍るので泣かなかった)
あるいはハワイ島へ行ったとき。
ホテルの部屋でハエが大量発生していて発狂しかけたが、夜に見た天の川が綺麗過ぎて何もかもどうでもよくなった。
あの夜、途中で数えるのを諦めたほどの流れ星は、流星群でもないのに圧巻だった。
他にもまだまだ、山ほどある。
良い経験も、悪い経験も、どれもこれも海外旅行ってフォルダに入れば、どういうわけか良かった思い出になってしまう。
不思議なものだけど、好きだから、そういうもんなんだろう。
それに、そのどれもこれも、私が今際の際に立ったときには何か小洒落たBGMをつけて走馬灯で流れてくるに違いない。「あ、この夕暮れはアレだよアレ、20xxに行った時にぼーっとやることなくてビーチで眺めてた夕焼けだよ、あれ人生で一番綺麗だったなぁ」なんて思い馳せながら死ねたらまさしく上々だ。
日常の強い記憶の合間にそんなの流れてきたら、温度差で生き返るかも知れないけど。
いやそもそも、走馬灯がリクエスト制かどうかも知らんけども。
そうだったらいいな、と思う程度にはやっぱり特別好きな海外旅行で得た記憶なので、是非とも願いを聞き入れて、例えばオカンとゲラゲラ笑い合ってる記憶の次ぐらいには流して欲しいものだ。
そしてどうか、私の走馬灯リストを更新するためにも、また早く海外旅行ができる世界に戻って欲しい。
それこそ、山とある課題をクリアせねばなるまい、なんてことは重々承知しているけれども。何のチカラもない私には欲望を願いながら、数少ないできること、手洗い・うがい・ソーシャルディスタンスを遵守する程度しかできないので。
あ~~~はやく海外旅行したい~~!
一日でも早く、また海外旅行が自由にできる世界になりますように!(制限付きでも良いから!)そのためにも、惜しまず出来ることは頑張ります。