いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

声を忘れない日があった

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乗るはずだった飛行機が大幅に遅延していた。

 

日本への帰国にあたり、乗り換えで立ち寄ったイタリアの空港。

多くの人でごったかえし、私が乗るはずだった飛行機は3時間遅れが更にのびて5時間遅れになっていた。

 

ひとり旅は十分すぎるほど楽しかった。

でも、「あとは飛行機に乗れば自宅へ帰り着ける」という状態から突如放り出されて感じる疲労はひとしおだった。

 

遅れているものは仕方ない。

それでも正直「勘弁してよ」というのが率直な気持ちだった。

 

同じように案内板を見上げる人たちが、これから帰る人なのか、行く人なのかは分からない。

それでも、みんな同じくどこか疲れたような顔をしていた。

 

とりあえず、少なくとも5時間は何もすることがない。

そのうえ、このあと更に遅延するのか、しないのか、その判断タイミングもわからなかった。

 

幸いにも航空会社からは食事のクーポン券が配られたので、飲み物とサンドイッチを手に入れた私は、とりあえず滑走路の見えるベンチに落ち着いた。

 

日本語のないアナウンスが引っ切り無しに流れるなか、いろんな言葉が飛び交う異国のサテライト内。

「あー、今のはドイツ語かなぁ」と分かるものもあれば、さっぱりどこの言語か分からないものまで。

音楽プレーヤーも充電切れだった私は、そんな「音」をBGMに、ぼうっと飛行機の飛ばない滑走路を眺めて、まさしく暇を潰していた。

 

それから、1時間か2時間経ったころ。

不意に意味の取れる言葉がたくさん聞こえてきた。日本語だ。それも、私がこれから帰る関西地方の方言だった。

ひとり旅でしばらくの間、日本語、しかも関西弁を聞く機会から離れていた私は思わず、声の聞こえてくる方へ顔を向けていた。すると、そこには日本人の団体客がワイワイ集まり、どうやらツアー内での点呼を取っているようだった。

なるほど、私と同じ飛行機に乗る予定の人たちらしい。

ということは、彼らも私と同じくあと数時間は立ち往生の仲間というわけだ。

まったく知らないひとたちだけど、そのことを何となく心強く思っていると、ふと、言葉以上に印象的な言葉が耳に届いた。

 

言葉というより、それは声だった。

 

「あれ?」と思ってその声の主を探してみれば、ツアー客の中に混じった一人の女性に目が留まった。

見覚えがある。

でも、誰だっけ?

思い巡らせて、彼女がツアー客に手渡している航空会社の食事クーポンに気付いてしまえば、すぐに記憶は蘇った。

 

彼女はツアーの添乗員だった。

そして、私が初めて一人で参加した海外旅行ツアーの添乗員をしてくれた人だった。

すでに5年か6年前のことだったけれど、他の人が二人以上で参加するなか、一人で参加していた私を丁度よい距離感でアテンドしてくれた彼女のことはとても色濃く記憶に残っていた。

特に、テキパキと必要なことを必要なだけ提供してくれるあの声は、混み合う空港内でも「そうそう、あの人だよ」とまさしくそのものだった。

 

私の見ている中で、ツアー客らはクーポン券を手にバラけていき、数人が彼女に声をけ、彼女が応答して、その数人もどこかへ移動したのか、その場には彼女一人になった。

 

そして、ふと振り返った彼女と目があったのだ。

 

「あれ、」

 

驚いたことに、目のあった彼女は私の名前を間違いなく呼んだ。

数年前に1週間だけ同じ旅をしただけの相手だ。

人は声から忘れていくというが、私は彼女の声を覚えていて、彼女は数多いるツアー客の一人でしかない私を覚えていてくれた。

互いに、不思議な縁だね、と驚いて、何となく孤立した遅延続きのサテライト内で、それからしばらく話をした。

昨日までどんな旅をしていたとか、これからどんな国にいくとか。

飛行機は結局、更に3時間遅延して、その間も彼女が仕事をしている時間以外にはいろいろな話をすることができた。

 

そして、ようやく飛行機の準備が整い、私と彼女はそこでわかれた。

 

「じゃあまたね」

「はい、またどこかで」

 

いろいろな話をしたけれど、私も彼女も、連絡先を交換するようなことはしなかった。

ただ二人で互いに「またどこかで会えるかもね」という言葉だけを交わしあった。

 

彼女が、またどこかの国で出会えたときにも、まだ私のことを覚えていてくれるかは分からない。

それでも私はまた今度も、彼女のハキハキと話す声につられて目を向けるのだろうと思う。

 

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」