2021年12月の初めごろ、その犬と出会った。
性別は女の子。犬種はミックスで、シーズーとダックスが色濃くて、けれど一見しては何犬なのかよくわからない。
そんな子に、とても惹かれた。同行してくれた友達は、私の様子を隣で見ていて、絶対にこの子にするんだろうなと思ったらしい。
その出会いからおよそ1ヶ月後、私は彼女に名前をつけた。
彼女と暮らすようになって、最初の一週間ぐらいは、あちこちで彼女の名前を書いたり言ったりした。
名前はエル。
フランス語で「Elle」と書いて、彼女(She)という意味だ。いわば三人称なんだけれど、それを名前にすることで、The girl的な意図もある。こじつけだけど、Premiere(プルミエール)のエールにも掛けている。
そんな、彼女だけの名前を管理会社への提出書類や、役所への書類、譲渡関連書類やペット保険、かかりつけの動物病院の問診票など、あれこれ、あちこちで書いて書いて、同じく口頭でも「エルです」「エルっていいます」「Elleのエルです」等々、言いまくった。
そして、外に向けて言うより、ずっとたくさん彼女に呼びかけた。
「エル!」
「エル~ごはんやで~」
「エル?なにしてんの?」
「すごいなー、エル!」
私が彼女の名前をエルと決めたので、だから私はエルと呼んだ。
けれど、私が彼女を「エル」と呼んだからといって、彼女はすぐに振り返るようなことはしなかった。
当たり前すぎる。
彼女の名前がエルであると認識しているのは私だけで、きっと彼女にとっては「はい?なにか言った?」ぐらいの感じだっただろう。
その頃、彼女にとって「エル」とはあまり特別な単語ではなかったのだ。
そして、実を言うと私にとっても、「エル」という名前はまだ馴染んでいなかった。
正直なところ、彼女との距離をはかりかねていた。
というか、彼女の身の回りのことで精一杯だったのもあるかもしれない。
食事の量は? うんちの回数は? トイレはここでいい? 暑い? 寒い? このクッションはいや? 寝るのはここでいい? 散歩はどれぐらい? もう少し歩く? それとも疲れた? このオモチャは遊ばないんだ? このおやつ好き?
一つ一つ、試行錯誤しながら「彼女にとっての適当」を探って、膨大なリストにクリアのチェックを入れていく。
とにかく自分ができることは全部やる。
そんな気負いとともに、私は「エル、エル」と呼んでいたのだと思う。
彼女と暮らし始めてから、およそ、三週間ぐらいした頃だろうか。
彼女も寝る場所が決まって、トイレの失敗もなくなって、散歩の時間も、好きなオモチャも決まってきたぐらい。
ふと気づくと、彼女がジッと私を観察している時間が増えてきた。
私が用事をしているとき、あるいは、なにか彼女へコマンドを出す前後。この人間は何をするんだろう。そんなふうにジッと見上げてくる。
そして、ある程度ルーチン化している行動の前後には、一つ吠えてみたり、ちょっと後退してみたり、逆に手を舐めてみたり、いつもと違う行動を取ってから、やはりジッと私を見上げてくる。こうしたら、この人間どうするんだろう。
そんな彼女の様子を見ていて、私は不意に思い至った。
「そうか、これコミュニケーションだ」
私が精一杯ながら、彼女に「エル、これはどう?」「エル、これならいい?」と尋ねてコミュニケーションを図っていたのと同じように、彼女も自分と違う人間である私のことを理解しようとしてくれている。
それも当たり前で、私が彼女を理解するよりも、彼女が私を理解するほうが大変に決まっている。彼女には、私みたいに相談できる相手もいないし、漁れる資料もない。
それでも理解しようとしてくれている。
そう気づいたとき、気負いは一気になくなった。
なんかこう、「一人じゃないのか、心強ぇな」という強気が溢れた。
それからだと思う。
エル、と呼ぶのがとても自然になった。
そして今は同じ空間に暮らす一人と一匹。
自然体で彼女を構えるようになった私に、彼女がリラックスしてお腹を見せる風景が当たり前になってきた。
「エル」と呼べば振り向いてくれて、最近では大好きなご飯中でも私を優先してくれたりもする。
恐らくは、彼女の群れの一員としての地位を確保できたのだと思う。
ある時、私が作った靴擦れの傷を彼女がケアしようとしてくれたので、それには割と自信がある。
なんかすごいな、ありがとう。
そんなことを毎日思っている。
これからも、彼女との暮らしは長く続く。
「エル」と呼んで見上げてくる彼女の、まるい目の中で誇らしく有りたい。