「女の子と付き合ってるらしい」
という話を聞いたのが、もう5、6年ぐらい前のことだったと思う。
親同士に交流がある、という一点だけの理由で小学校の低学年ぐらいまで遊ぶことの多かった一つ年上のお姉ちゃん。
その子の近況は数年ごとぐらいに親を経由して、たびたび私のもとにも届く。
きっと私の近況も親を通じて彼女の耳にも入っていただろう。
そんな彼女の近況として、冒頭の言葉を聞いたのがそれぐらい前のことだった。
私はたしか、彼女にまつわる他の近況と同じく「へ~」と返した程度だったと思う。インパクトとしては、「出身地が違う人と付き合ってる」とか「年の差がある」とか「授かり婚みたい」とか、それぐらいの印象だった。
なので、ほとんど忘れていたのだけど、数年ごとのニュースが先日もまたもたらされた。
いわく、「まだ粘ってるらしい」と。
たとえば、いま日本で前提とされてる「男女の結婚/交際」であれば、こんな言い草になるかよ、と割と衝撃をもってその一言は頭に残った。
だって、5~6年前に聞いた彼女とまだ付き合ってるって、その事実以外になにかある?
あるんだろうな、「なにか」。
あるから「ねばってる」なんて言葉になるんだろうな、となんだかしんどくなってしまった。
小さい頃に一緒に遊んだあの子は、そういうものに晒されているのか、と。
理由は付き合ってる相手が同性っていう、それだけ。
それに、この一言はあくまで「私」が異性愛者(バイセクシャルでもない)である前提の言葉だろう。実際いまのところの自認は異性愛者だと思うけど、アウティングもしてないんだから、相手は知る由もない。まさにシュレディンガーの性的指向。それに、そんなのは将来どうなるかもわかんないし、明確に自分の好きになる相手が初めからわかっていれば、誰も恋愛に悩んだりしないだろう。
ニュージーランドの元議員による有名なスピーチがあるけど、あのスピーチは本当にすべてを伝えている。
さらに、彼のスピーチの数年後の「続き」もそれを物語っている。
誰が誰を好きになるかという、それで誰かを差別することがいかに馬鹿馬鹿しいか。
※同性婚制度にまつわるスピーチ記事を引用していますが、「愛のゴールは結婚」という意図のものではなく、「異成婚と区別されない同性婚というシステム」への賛同を求めるスピーチとして素晴らしいなと思っての引用です
あの子が同性と付き合っていることは、年の差があることとか、授かり婚であることとか、それらが他人に影響しないのと同じように何も影響しない。
猛烈に反対している親御さんとの仲が悪く、それを揶揄して家庭が壊れた~(フィクションです)みたいにいうのだってナンセンスだ。この世にどれだけの義実家問題や離婚家庭があるんだよ。なぜか伝統だとか文化だとかをかさにきて「普通の結婚/交際」とかいう人は、「普通じゃない結婚/交際」をする2人に永遠の愛を証明させたがる。
そういうところもひっくるめて、変わらないし、それぞれ違うんだよね。
そして彼女についても、きっとこのさきも私にはなにも影響しない。
それはそれとして、彼女の生き方が異性カップルと同じような世界になるといい。
※言葉にしないとないのと同じなので、思い切ってテキストにしました。