いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

少しだけど変わっているみたい【国際女性デー】

もう十何年の付き合いになる高齢男性がいる。

私が知り合ったときから、括りとしては高齢男性だった彼は若い頃からバリバリ働いて未だに現役を貫く、まさにやり手の仕事マン。

経歴もさることながら、人生経験も豊富なのでお話していると面白いことのほうが多い。

けれど、そういった男性に対して「若い女」である私が会話をしていると、時として強烈な差別的発言や偏見のシャワーを浴びることにもなる。

彼氏はいるのか?

結婚はまだなのか?

そんなんじゃ"女"として終わってる。

例えばこんな風に尋ねる彼には悪気なんてまるでない。

それどころか、他にも、容姿や料理の腕前ジャッジなどレパートリーも無数にあって、まさしく、どこに出しても恥ずかしくない「昔は許された」らしいホモソ成分をふんだんに含んだ穫れたてピチピチのハラスメント男性である。

 

彼は「普通はさぁ」とよく女性に言う。

もちろん、いまを生きる女性にあらゆる多種多様な属性があることは前提になく、ただステレオタイプ的に「オレが思う"女"といえば」が頭につく。

さらに悲しい現実として、そんな高齢男性に「男女平等」を説こうという人は皆無だ。

多少なりとも言い含める必要があるのは分かっている。

けれど私自身も、何も言わない一人と成り果てている。

だって、どうしようもなく「言ったって仕方がない」と思ってしまっている。

こういう男性が変わることはない。ただ、過ぎていくのを待っていよう。

そんなふうに思っていた。

 

のだけれど、先日のこと。

この高齢男性と話す機会があり、話題は私生活のことになった。

その時にも、やはり彼は結婚の話題を振ってきた。いつもだったら、軽く笑って受け流す場面なのだけれど、私はついポロッと返してしまった。

 

「でもまぁ、いま幸せですし~」

 

言ってしまってから、しまった~~~~と、とても焦った。

何しろ私の状態は彼の「普通の女の幸せ」からは遠く離れているし、そのうえ「でも」までつけて、彼の意見に反してしまったのだ。

通常であれば、彼は大抵の場合、ムキになって私に「普通の女の幸せ」についてを"教えてくれる"か、不機嫌になるかだ。

ミスったな…と思う私は、できれば不機嫌になるだけで終わってくれと願っていた。

しかし、どうだろう。

 

「そうやんな~幸せやったらもうなんでもええよな、それが一番や」

 

彼が返した言葉はこれだった。

本当に、驚いた。

え、あの人が? ほんとに?

おそらくだけど、誰一人として、彼に「女性差別」について教えたりはしていないだろう。

そのはずなのに、彼は彼自身の意見を翻したのだ。そして、彼が初めて「女」という記号ではなく、「私個人」と向き合った瞬間だった。

驚いた。心底から驚いたし、少しだけホッとした。

それから、このことをブログに書こうと思った。

同じように自分の幸せを追求する、そんないち個人として向かい合うだけで、彼とは十何年の月日が必要だった。おそらく、私が男だったら、こんなに長い時間は必要なかっただろう。けれど、こんな年月を費やしてでも、一人の価値観が公平・平等へと傾いたのは大きいはずだ。

とはいえ、今回の高齢男性のようなケースはまだまだ稀かもしれない。

けれど、「絶対に死ぬまであのまま」だと思っていた彼が、こうしてほんの少しでも変わったのは、どこかで、誰かの発信を見たからだ。

日本だけでなく、世界中で毎日のように女性への差別や犯罪などが起こっていてキリがない。

こんなに情報は発信されていて、訴え続けているのに何も変わってない。

そう思っていたけれど、こうして少しずつ変わっていることもある。それを目の当たりにできた経験は、とても大きい財産だと思えた。