いつも前のめり

好きなことを好きなだけ

2024/08/06

朝の6時前くらいに起きて、比較的すずしい時間帯に散歩へ行く。

最近、出掛けには渋り気味の犬も外を歩き始めるとルンルンで散歩している。

そうはいっても湿度もエグいし、気温も徐々に27度を超えてきて、帰り着く頃には汗まみれ。

帰宅後は軽く汗だけふいて、すぐさま犬のお世話とごはん、続いて植木や野菜の世話をする。

本来ならゴーヤが鈴なりのはずなんだけど、暑すぎるせいか実になるまでに枯れてしまう花が多くて残念だ…。来年はもう少しいろいろ工夫してみようと思ってる。

それらが終わったら、着替えてヘアメイクして朝ご飯たべて、出掛けるまでの時間をゴロンとリビングに横になる。

電気をつけなくても明るいリビングで、サーキュレーターが首をふる音、犬たちがじゃれる音、それからラジオから流れるニュースキャスターの声が混ざり合う。

猛暑、オリンピック、バングラデシュ、株価。

それらを聞いていた私の隣に犬が近寄ってきて、ごろりと横になる。しばらくモゾモゾしてたかと思えば、ドーナツみたいにまんまるになって、私の腕を枕にしていた。

 

そのぬくもりを感じながら、次のニュースが聞こえ始める。

8月6日。広島原爆投下。

 

79年前は、第二次世界大戦の真っ只中だった。

そして、私がリビングで寝転んでいたように、戦争の中でも日常を送っていた人たちの頭上に核兵器が落とされた。

人が人を殺したり殺されたりして、生き残った人たちも多くが戦争の犠牲になった。

かわいそうなゾウ、ちいちゃんの影送り、火垂るの墓、あるいはその日々を生きた人たちの話を聞いて、戦争の悲惨さや愚かしさを学んで育った。

 

世界大戦は終わって、2024年に何が起こっているかというと、どういうわけかあれからもずっと戦争が起こっている。

主義主張や思想など関係なしに、「戦争反対」とは誰もが共有できるものなんじゃないの? と思わない日はない。

子供の頃は、戦争なんて当然だめなものなんだから、平和のために努力が必要だと大人が話す意味がわからなかった。したい人なんていないだろう、誰だってあんなの体験したくないに決まっている。

だというのに、何故かあちこちで起こっているし、暴力や加害が絶え間なく誰かを傷つけて殺している。

 

いったい、生まれてたった数年の少女に何百発も銃弾を撃ち込むことにどんな意味があるのだろう。

または、それが許容されている状況ってなんなんだ。

 

行き着くさきの焼け野原の写真は、日本人なら深く心に刻まれているだろう。

平和ってこんなに尊いものなのかと、今日またたくさんの写真や記事を見てあらためて思った。

そして、平和を勝ち取るために努力が必要だと話してくれた人たちの気持ちにも、少しは寄り添えたように思う。

 

政治で解決できないことが、暴力しか無い戦争で解決することなんかない。

一方は必ず敗戦国となり、それは解決ではなく略奪になる。

「話し合ってもしゃーないので殺しまーす」って殺人でもしようもんなら普通に捕まるし、人として終わってるはずなのに、なぜか戦争は起こるの、とてもじゃないが理解が追いつかない。

けれど、戦争をしたい人というのはどうしようもなく存在していて、その人達に抗う必要があるのだと、ようやく分かったように思う。

「戦争」が手段の一つであっていいわけがない。そんな状態は一刻も早くなくなってほしい。

 

わたしは戦争に反対です。

8:15。黙祷。祈りの朝でした。